雄略天皇(十三)大悪天皇が寵愛した青と博徳

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雄略天皇(十三)大悪天皇が寵愛した青と博徳

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原文

天皇、跪禮而受曰「善哉、鄙人所云、貴相知心、此之謂也。」皇太后、觀天皇悅、歡喜盈懷、更欲貢人曰「我之厨人菟田御戸部・眞鋒田高天、以此二人、請將加貢爲宍人部。」自茲以後、大倭国造吾子籠宿禰、貢狹穗子鳥別、爲宍人部。臣・連・伴造・国造、又隨續貢。是月、置史戸・河上舍人部。天皇、以心爲師、誤殺人衆、天下誹謗言「太惡天皇也。」唯所愛寵、史部身狹村主靑・檜隈民使博德等。

現代語訳

天皇はその申し出を跪いて受けて言いました。
「善いことです。
卑しい人が言う所の『貴(トウトキヒト)は心を分かり合うもの』というのは正にこのことを言っているのでしょう」
皇太后は天皇の喜ぶ様子を見て、歓喜しました。さらに人を献上しようと言いました。
「わたしの厨人(クリヤビト=料理人)の菟田御戸部(ウダノミトベ)・眞鋒田高天(マサキタタカメ)のこの二人を加えて宍人部(シシトベ)としていただきたい」
この後、大倭国造吾子籠宿禰(オオヤマトノクニノミヤツコアコゴノスクネ)は狹穗子鳥別(サホノコトリワケ)を献上して宍人部(シシトベ)としました。臣・連・伴・造・国造は後を追って献上しました。

(即位2年10月)この月に史戸(フミヒトベ)・河上舍人部(カワカミノトネリベ)を置きました。雄略天皇は自分を賢いと考えていました。だから間違って人を殺すことが多かったのです。天下はそれを誹謗(ソシ)り言いました。
「甚だ悪い天皇である(大悪天皇)」
ただ寵愛したのは史部(フミヒト)の身狹村主青(ムサノスグリアオ)と檜隈民使博德(ヒノクマノタミノツカハカトコ)たちです。
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解説

身狹村主青・檜隈民使博德
青の「身狭(ムサ)」は大和の地名。村主(スグリ)は「村の長」という意味で、朝鮮語ではないか?と言われています。「白村江」という地名で「村」を「スキ」と呼ぶのも同じ理由です。しかし、「飛鳥(アスカ)」とか「春日(カスガ)」というように「スカ」「スガ」「スク」という音は同じような意味合いがあったのではないかとも思うので、本当に朝鮮語かは怪しい。よく、なになには朝鮮語から来ていると思われるという説を見るけども、そもそも古代朝鮮語で書かれた文献はほぼ無いので何を根拠にしているのかはちょっと怪しい。

まぁ、それはともかく。

青は「史」の関係者です。史を描くには筆が必要で、筆は動物の屍体から取れる毛から作ります。博徳は名前に檜隈民(ヒノクマノタミ)とあることから、熊襲関係の人物でしょう。熊襲は当然狩猟も行っていました。彼らは中国の呉に留学しています。寵愛されたというのは帰国後です。

彼らは「穢れ」を恐れ無いから、留学をして勉強ができた。それを寵愛したということは雄略天皇は外国(中国)の文化の取り入れに熱心だった、のではないかと思います。
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