トンボが虻を食べて飛び去る歌

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雄略天皇(十六)トンボが虻を食べて飛び去る歌

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現代語訳

(即位4年)秋8月18日。吉野宮(ヨシノノミヤ)に天皇は行きました。20日に河上の小野へと行きました。虞人(ヤマノツカサ=山を管理する役人)に命じて獣(シシ)を駆けさせました。自ら射ようとして待っていました。すると虻(アブ)が素早く飛んで来て、天皇の臂(ミタダダムキ=腕)を噛みました。そこに蜻蛉(アキヅ=トンボのこと)がたちまち飛んで来て、アブを食って行きました。天皇はその情緒がある様子を喜んで、群臣たちに詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕のために蜻蛉(アキヅ)を褒めて、歌を歌え」
群臣には読む者などいようはずがありません。天皇は即興で口ずさみました。
倭の 峰群ら(オムラ)の嶽(タケ)に 猪鹿(シシ)伏(フ)すと 誰(タレ)か このこと 大前に奏(マオ)す
歌の訳大和の峰が連なった嶽に猪や鹿がいる。誰がこのことを大前に申し上げたのか?

ある本によると「大前に奏す」というところを「大王に奏す」に変えます。

大君は そこを聞かして 玉纏(タママキ)の 胡床(アゴラ)に立たし
歌の訳大君はそれを聞いて、綺麗な玉で飾った胡床(アゴラ=椅子)に立ち……

ある本によると「立つ」ではなく「坐す」に変えます。

倭文纏(シツマキ)の 胡床(アゴラ)に立たし 猪鹿待つと 我がいませば さ猪(イ)待つと 我が立たたせば 手腓(タクフラ)に 虻(アム)かきつき その虻(アム)を 蜻蛉(アキヅ)早咋(ハヤク)ひ 這ふ虫も 大君に順(マツラ)ふ 汝が形は 置かむ 蜻蛉嶋倭(アキヅシマヤマト)
歌の訳日本に昔からある「シツ」という綺麗な布を貼った胡床(アゴラ=椅子)に立って、猪や鹿を待っている。私が座って猪を待っている。私が立っていると、手に虻が噛み付いて、その虻を蜻蛉がサっと食べてしまう。昆虫までもが大君に従う。お前の形を名前に置こうではないか。蜻蛉嶋倭(アキヅシマヤマト)と名付けよう。

ある本では「這う虫」より以下を「かくの如 名に負はむと そらみつ 倭国を 蜻蛉嶋といふ」と変えています。

そうして蜻蛉を褒めて、この土地を名付けて蜻蛉野(アキヅノオノ=吉野宮の周辺の土地)といいます。
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解説

地名説話ですね
雄略天皇とは何の関係もない、致命説話がなぜか雄略天皇の時代に組み込まれました。「秋津嶋」という表現はすでに古事記・日本書紀に見られているように、日本を蜻蛉になぞらえて「アキヅシマ」読んでいたのでしょう。しかも古くから。それで幾つかの地名説話があった。それを取り込んだ、ただそれだけでしょう。

しかし、なぜ、雄略天皇の時代にこの物語が組み込まれたのかというと、全然わかりません。吉野宮の付近を雄略天皇が特別視して、それが原因というのが一番シックリ来ます。
農業神話?
トンボは秋に飛ぶことから、稲霊の化身であるという考えがあったようです。また、虻だけでなく、蚊も食べます。トンボの幼虫であるヤゴは水中の害虫を食べるわけで、益虫の中の益虫が「トンボ」ということです。
また日本人は山を神聖視していました。トンボの姿形を「山の峰」になぞらえていたというのも、トンボと山が「農業神話」で繋がっていたからではないかな、と思うのですね。

そう考えると雄略天皇の物語ってのは非常に農業神話が多い。雄略天皇は大悪天皇か、それとも徳のある天皇なのか? うーんまだなんとも言えないですね。
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原文

秋八月辛卯朔戊申、行幸吉野宮。庚戌、幸于河上小野。命虞人駈獸、欲躬射而待、虻疾飛來、噆天皇臂、於是、蜻蛉忽然飛來、囓虻將去。天皇嘉厥有心、詔群臣曰「爲朕、讚蜻蛉歌賦之。」群臣莫能敢賦者、天皇乃口號曰、

野麼等能 嗚武羅能陀該儞 之々符須登 拕例柯 舉能居登 飫裒磨陛儞麻嗚須一本、以飫裒磨陛儞麼鳴須、易飫裒枳彌儞麻嗚須。 飫裒枳瀰簸 賊據嗚枳舸斯題 柁磨々枳能 阿娯羅儞陀々伺一本、以陀々伺、易伊麻伺也。 施都魔枳能 阿娯羅儞陀々伺 斯々魔都登 倭我伊麻西麼 佐謂麻都登 倭我陀々西麼 陀倶符羅爾 阿武柯枳都枳 曾能阿武嗚 婀枳豆波野倶譬 波賦武志謀 飫裒枳瀰儞磨都羅符 儺我柯陀播 於柯武 婀岐豆斯麻野麻登一本、以婆賦武志謀以下、易「舸矩能御等 儺儞於婆武登 蘇羅瀰豆 野磨等能矩儞嗚 婀岐豆斯麻登以符」。

因讚蜻蛉、名此地爲蜻蛉野。
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