三諸丘の大蛇と少子部連蜾蠃と雷

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雄略天皇(二十一)三諸丘の大蛇と少子部連蜾蠃と雷

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原文

七年秋七月甲戌朔丙子、天皇詔少子部連蜾蠃曰「朕、欲見三諸岳神之形。或云「此山之神爲大物主神也。」或云「菟田墨坂神也。」汝、膂力過人、自行捉來。」蜾蠃答曰「試往捉之。」乃登三諸岳、捉取大蛇、奉示天皇天皇不齋戒、其雷虺々、目精赫々。天皇畏、蔽目不見、却入殿中、使放於岳、仍改賜名爲雷。

現代語訳

即位7年秋7月3日に天皇は少子部連蜾蠃(チイサコベノムラジスガル)に詔して言いました。
「朕(ワレ)は三諸丘(ミモロノオカ)の神の形を見ようと思う。
別の伝によると、この山の神を大物主神(オオモノヌシノカミ)といいます。
また別の伝によると菟田(ウダ)の墨坂神(スミサカノカミ)だともいいます。

お前は膂力(チカラ=筋肉の力)は人ではないほどだ。自ら行って捉えて来い」
蜾蠃(スガル)は答えて言いました。
「試しに行って捉えてみましょう」
すぐに三諸岳に登って大蛇(オロチ)を捉えて天皇に見せました。天皇は齋戒(モノイミ=神を祀る前に、血・死・女性に触れないで穢れのない清らかな状態になること)をしませんでした。すると大蛇は雷のように光って目は輝きました。天皇は畏み(=神を恐れること)、目を覆い、大蛇を見ずに、殿中(オオトノ)に入って隠れました。その大蛇は丘に放たれ、改名して雷という名を与えました。
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解説

雷は誰の名前か?
話の流れでは、蜾蠃(スガル)が雷に改名したとも思えますが、丘の名前を「雷」と改めたという解釈も出来ます。というのも三諸丘、というのはつまり「三輪山」で大神神社のことです。この大宮神社は現在でも本殿が無く、拝殿と鳥居しかありません。三輪山が「神体」であり「本殿」です。また大物主は蛇神です。

蛇は水神であり、水神は雷神でもあります。だから三諸丘の神は蛇であり、雷を発して、最後には「雷」と名前を変えた、ということであってもなんらおかしくないのです。
物語の意味
素直に読むと、三輪の勢力が強かった、のかもしれません。天皇であっても叶わなかった、とか。

わたしは個人的には別の解釈を持っています。
日本は神に物語を捧げていた。面白い話を捧げたり、神を持ち上げて気持ち良くさせることで、天変地異を避け、五穀豊穣を願った。そこで神様が気持ち良くなるような話をストックしておきたいわけです。その話を所持することで世界は安定する、と古代の日本人は考えていた。

その神に捧げる物語の主人公に天皇を当てた。天皇を絡めることで天皇が重要な地位になれるからです。神に捧げる物語の登場人物にすることで、永遠の存在にもなるとも考えた。

このページでは雄略天皇は神を恐れ、殿中に逃げてしまうのですが、それは神から見ると気持ちのいいことです。神を「すごいですね」と持ち上げているのですから、神は悪いことはしないでしょう。天皇をかわいがり、厄災は避けるはず。特に大物主は崇神天皇の時代に国民の半分を祟って殺した神ですからね。これは命がけで持ち上げないといけない。その結果がこの物語だと。
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