吉備臣小梨と難波吉士赤目子の奇策と新羅と高麗の恨み

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雄略天皇(二十九)吉備臣小梨と難波吉士赤目子の奇策と新羅と高麗の恨み

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現代語訳

それで任那の王は膳臣斑鳩(カシワデノオミイカルガ)…
斑鳩は伊柯屢餓(イカルガ)と読みます。

と、吉備臣小梨(キビノオミコナシ)と難波吉士赤目子(ナニワノキシアカメコ)を勧めて、新羅を救いに行かせました。膳臣たちは到着していない時に、野営をして留まりました。高麗のもろもろの将はまだ膳臣たちと戦わないうちから皆、恐れました。膳臣たちは、努めて軍兵をねぎらいました。軍の中に命令して、速やかに攻める準備をして、急に進んで攻撃しました。高麗と守り合うこと十日あまり。夜に険しい場所を割って、地道(シタツミチ=崖の下の道)を作って、すべての輜車(ニクルマ=食料などを運ぶ車)を移動させて奇兵(カクレタルツワモノ=伏兵)させました。朝になって、高麗は膳臣たちは逃げたと思いました。軍の全てで追いました。すると奇兵(=フクヘイ)を放ち、歩騎(カチイクサウマイクサ=歩兵と騎兵)を挟んで攻めて大いに破りました・二つの国の恨みはこれから生まれました。
二つの国というのは高麗と新羅です。

膳臣たちは新羅に語りました。
「お前は、これほど弱いのに、これほど強い敵と戦った。官軍(ミイクサ)が救わなければ、必ず高麗にもみくちゃにされていただろう。この役(エダチ=戦争)によって他人の土地になっていたのはほとんど間違いない。これより以後、どうしてお前は天朝(ミカド)に背くことが出来るだろうか?」
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解説

最初は天皇が吉備の田狭の妻である稚媛を寝取ったところから始まりました。それで田狭は天皇によって朝鮮に左遷。天皇が稚媛との間に子をもうけたことを知った田狭は新羅に助けを求めた。すると天皇は新羅に部下を差し向け、戦争状態になりました。仕方なく新羅は高麗に助けを求めたのですが、高麗は新羅を征服するつもりだったことが判明。高麗人を殺して、追い返したはいいですが、高麗軍に追われて遂に日本に助けを求めて、日本に高麗を追い返してもらった……なんというか、ひどい話ですね。

これで高麗と新羅の仲違いが始まったよ!と書いてあるのですが、最初の最初の原因は雄略天皇が吉備の田狭の妻の稚媛を求めたことなんですよね。

しかし、この「雄略天皇が稚媛を求めた」というのは個人的には疑問なんですよね。この物語の登場人物のほとんどが「吉備」と「吉士」という姓の人物であることを考えると、そもそもこの新羅vs高麗のお話は、吉備地方の話だったんじゃないでしょうか。吉備と難波、そして朝鮮。つまりこの交易ルート上で起きた何かしらのトラブルを物語にした。

吉士という姓に吉備の「吉」という字が当てられているのも偶然とは思えない。そもそもが吉備と関係した氏族で、それが元で「吉」が当てられた、と考える方が自然。つまり吉士という姓の氏族は「吉備」の出身で、朝鮮と交易をしているうちに新しい文化や技術を吸収した「日本人」か、吉備によって朝鮮半島から連れてこられた「朝鮮人」のどちらか、かと思われます。
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原文

由是、任那王、勸膳臣斑鳩(斑鳩、此云伊柯屢餓)・吉備臣小梨・難波吉士赤目子、往救新羅。膳臣等、未至營止、高麗諸將、未與膳臣等相戰、皆怖。膳臣等、乃自力勞軍、令軍中、促爲攻具急進攻之。與高麗相守十餘日、乃夜鑿險、爲地道、悉過輜車、設奇兵。會明、高麗、謂膳臣等爲遁也、悉軍來追。乃縱奇兵、步騎夾攻、大破之。二國之怨、自此而生。(言二國者、高麗新羅也。)膳臣等謂新羅曰「汝、以至弱當至强、官軍不救必爲所乘、將成人地殆於此役。自今以後、豈背天朝也。」
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