談連の従者の津麻呂の忠義

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雄略天皇(三十三)談連の従者の津麻呂の忠義

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原文

小弓宿禰、追斬敵將陣中。喙地悉定、遣衆不下。紀小弓宿禰、亦收兵、與大伴談連等會、兵復大振、與遣衆戰。是夕、大伴談連及紀岡前來目連、皆力鬪而死。談連從人同姓津麻呂、後入軍中、尋覓其主、從軍不見出問曰「吾主大伴公、何處在也。」人告之曰「汝主等、果爲敵手所殺。」指示屍處、津麻呂聞之、踏叱曰「主既已陷、何用獨全。」因復赴敵、同時殞命。有頃、遣衆自退、官軍亦隨而却。大將軍紀小弓宿禰、値病而薨。

現代語訳

小弓宿禰(オユミノスクネ)は追って、敵の将(イクサノキミ=将軍)を陣の中で斬り殺しました。喙(トク=朝鮮の地方名)の土地のすべてを定めましたが、遺衆(ノコリノトモガラ=残兵)は従いませんでした。紀小弓宿禰(キノオユミノスクネ)は兵を統率して、大伴談連(オオトモノカタリノムラジ)たちと会いました。兵はまた大勢に整えて、遺衆(=新羅の残兵)と戦いました。この夕に大伴談連と紀岡前来目連(キノオカザキノクメノムラジ)は皆、力いっぱい戦って死にました。談連(カタリノムラジ)の従者の同じ姓の津麻呂(ツマロ)はその後に軍の中に入って、主を訪ねて探しました。軍の中に持ち蹴られずに問いました。
「わたしの主人の大伴公(オオトモノキミ)はどこにいますか?」
ある人は告げました。
「お前の主たちは、結果、敵の手にかかって殺されてしまった」
屍(シカバネ=遺体)のところを指し示しました。津麻呂はそれを聞いて、大地を踏み、雄叫びして言いました。
「主! すでに死んだ!!
どうしてこれから生きていけばいいのか!」
それでまた敵の中に行き、もろとも死んでしまいました。遺衆は自然と退却しました。官軍もまたその動きに従って退却しました。大将軍の紀小弓宿禰は病気で死んでしまいました。
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解説

倭と新羅のどちらが勝利か?
日本は国力が整うと朝鮮半島に進出します。というと日本が残虐に見えますが、どこの国でもそうです。中国なんかは周辺国がある程度、国力が整うと侵略されるという歴史の繰り返しです。

豊臣秀吉も国内を統一すると朝鮮半島に進出するのですが、結局失敗します。韓国ではその失敗の理由を「李舜臣が!」と言うのですが、根本は「兵士の食料」を考えていなかったからです。それはこの古代でも同じだったと思います。

新羅本記を見ると日本は度々、新羅を侵略しているんですが、失敗しているんですね。それが本当かどうかはハッキリしませんし、個人的には新羅の人が書いた「都合のいいい粉飾」かもしれないと思っています。でも、「倭国は来ても、兵糧が足りなくて帰っていく」というのがよくあるパターンだったのではないかなとも思ってます。

日本は水耕稲作が一般的になっていて、気候も暖かくて、食料が豊かです。日本国内での戦争では食料は「現地調達」が効いたのです。ところが朝鮮半島に行くと、寒いので食料は朝鮮人が生きていくだけでカツカツ。現地調達なんてトンデモナイ。それが日本の朝鮮半島進出失敗で、この新羅征伐でも同様だったんじゃないかと。
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