大磐宿禰の専横と韓子宿禰の死

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雄略天皇(三十四)大磐宿禰の専横と韓子宿禰の死

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原文

夏五月、紀大磐宿禰、聞父既薨、乃向新羅、執小鹿火宿禰所掌兵馬・船官及諸小官、專用威命。於是、小鹿火宿禰、深怨乎大磐宿禰、乃詐告於韓子宿禰曰「大磐宿禰謂僕曰、我當復執韓子宿禰所掌之官不久也。願固守之。」由是、韓子宿禰與大磐宿禰有隙。於是、百濟王、聞日本諸將、緣小事有隙、乃使人於韓子宿禰等曰「欲觀国堺。請、垂降臨。」是以、韓子宿禰等並轡而往、及至於河、大磐宿禰飲馬於河。是時、韓子宿禰、從後而射大磐宿禰鞍几後橋。大磐宿禰、愕然反視、射墮韓子宿禰、於中流而死。是三臣、由前相競、行亂於道、不及百濟王宮而却還矣。
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現代語訳

(即位9年)夏5月。紀大磐宿禰(キノオオイワノスクネ)は父が死んだことを聞いて、新羅に向かって、小鹿火宿禰(オカイノスクネ)が管轄する兵馬・船・官(ツカサ=官僚)、および諸々の小官(オツカサ=下級官僚)を率いて、専用威命(コロタチ=自分勝手に行動する)しました。小鹿火宿禰(オカイノスクネ)は深く大磐宿禰を憎みました。そこで嘘をついて韓小宿禰に告げて言いました。
「大磐宿禰はわたしめに語って言いました。
『わたしが、韓子宿禰の掌握する官(=官僚)を統率するのは遠い先の話ではない』
願わくば、身を固く守ってください」
それで韓子宿禰と大磐宿禰に隙(ヒマ=仲違い)が出来ました。百済王は日本の諸々の将が小さいことによって隙(=仲違い)があると聞きました。それで人を韓子宿禰たちのもとへと派遣して言いました。
「国の堺(サカイ=境)を見せて欲しいと思う。垂降臨(イデマス=乗り物に乗り降りして見に来ること)することを請い願います」
それで韓子宿禰たちは轡(ウマノクチ)を並べて行きました。川に到着すると大磐宿禰は馬に川の水を飲ませました。このとき韓子宿禰は後ろから大磐宿禰の鞍の後ろを射ました。大磐宿禰は驚いて振り返って見て、韓子宿禰を射落としました。川の中で死んでしまいました。この三人の臣下はもともとから競い合って、乱れて道を行っていたので、百済の王の宮に到着できずに帰りました。
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解説

よく揉めるなぁと
戦争行った先で、内紛。まぁ、珍しい話ではないです。しかし、どこかノンビリした話なんですよね。

新羅征伐に出かけた軍の大将格だった「紀小弓宿禰」が病死したので、その後釜にやってきたのが息子の「紀大磐宿禰」。こいつが調子に乗って、軍隊を掌握しただけでなく、官僚も掌握したので小鹿火宿禰との関係が悪化、小鹿火宿禰は韓子宿禰に「あいつが、韓子宿禰のポジションまで狙ってるよ」と忠告したことで韓子宿禰まで大磐宿禰を嫌うことに。

そんな仲違いの話を聞いた百済王は、この関係を修復しようと三人を呼び出したのですが、その道中で韓子宿禰が大磐宿禰に弓を射ると、その弓が鞍に当たった。まぁ、暗殺未遂ですね。それで反撃に出た大磐宿禰に逆に韓子宿禰が殺されてしまう、というお話。
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