采女大海は小弓宿禰の埋葬地に悩む

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雄略天皇(三十五)采女大海は小弓宿禰の埋葬地に悩む

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現代語訳

采女大海(ウネメノオオシアマ=小弓宿禰の世話係=妻というか愛人)は小弓宿禰(オユミノスクネ)の喪のために日本に参りました。大伴室屋大連(オオトモノムロヤオオムラジ)に憂いを口にしました。
「わたしめは、(小弓宿禰を)葬るところが分かりません。願わくば、良き土地をください」
大連はすぐに天皇に申し上げました。天皇は大連に勅(ミコトノリ)して言いました。
「大将軍の紀小弓宿禰は竜のように上がり、虎のように見て、八維(ヤモ=八方=全方位のこと)を眺め見た。背くものを追い討って、四海(ヨモノクニ)と折衝した。そうしてその身を万里も遠い土地に置いて労って、命を三韓(カラクニ)で堕としてしまった。哀矜(メグムコト=小弓宿禰を惜しいと思うキモチ)から、視葬者(ハブリノツカサ)をあてよう。また、お前、大伴卿と紀卿は国の近い隣の人であるから、由来は同じだろう」
大連は勅(オオミコトノリ)を承り、土師連小鳥(ハジノムラジオトリ)に冢墓(ハカ)を田身輪邑(タムワノムラ=和泉国日根郡淡輪村=現在の大阪府泉南郡岬町淡輪)に作らせて、葬りました。それで大海(オオシアマ)は喜び、自然と黙っていられなくなり、韓奴(カラノヤッコ)室(ムロ)・兄麻呂(エマロ)・弟麻呂(オトマロ)・御倉(ミクラ)・小倉(オクラ)・針(ハリ)六口を大連に送りました。吉備上道(キビノカミツミチ)の蚊嶋田邑(カシマダノムラ=未詳)の家人部(イエヒロラ)はこれです。
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解説

大伴と紀
両者はどうやら、近い地域の出身らしい。和泉国(大伴)と紀伊国(紀)。
土師連小鳥
土師氏は出雲氏族で、古墳を作る専門家の氏族。墓を作らせたのは何ら不思議はない。小鳥という名前は、出雲の物語で葬式に鳥が出て来ることから鳥を「死者の国・神の国」の使者と視ていたためではないかと思われます。それで「創作の人物」と視ることもありますが、創作の人物と視るには根拠が少なすぎる。
韓奴
朝鮮半島で奴隷だったもの、という意味。朝鮮半島で普通の民だったものが奴隷になったという記述は視られないので、これはあくまで朝鮮半島でもともと奴隷だった人物ということ。それが「室・兄麻呂・弟麻呂・御倉・小倉・針」の6人。しかし、全員が完全に「日本語の名前」なので、おかしい。

これは家人部の家系図があって、それを古事記編纂のときに取り入れたから、日本風の名前になったのかもしれない…という説もある。もともとは朝鮮風の名前だったのが日本で生活しているうちに日本風の名前になって、それが家系図に残って、それを古事記が採用したから、朝鮮人なのに日本風の名前になっていると。この説から考えるとこの6人は直系の人物で同じ時代の人物ではない、ということになる。

…そんなことは無い、と思う。
正直これは「日本風の名前」の人が「朝鮮から来た」という矛盾を無理矢理に説明しただけでしょう。

というのも、魏志倭人伝では朝鮮半島の南部、任那とか加羅とか伽耶と呼ばれた地域は「倭人が住んでいる国」と書いてあるように、朝鮮半島には日本人が住んでいたわけで、「日本風の名前」で「朝鮮半島に住んでいた人間」がいたとしてもなんら不思議ではない。というか、かなりの日本人が住んでいたと考えるべきじゃ無いかと思う。
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原文

於是、采女大海、從小弓宿禰喪、到來日本、遂憂諮於大伴室屋大連曰「妾、不知葬所、願占良地。」大連卽爲奏之、天皇勅大連曰「大將軍紀小弓宿禰、龍驤虎視、旁眺八維、掩討逆節、折衝四海。然則、身勞萬里命墜三韓。宜致哀矜充視葬者。又汝大伴卿與紀卿等、同國近隣之人、由來尚矣。」於是、大連奉勅、使土師連小鳥、作冢墓於田身輪邑而葬之也。由是、大海欣悅、不能自默、以韓奴室・兄麻呂・弟麻呂・御倉・小倉・針六口送大連、吉備上道蚊嶋田邑家人部是也。
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