伯孫は赤毛の馬と葦毛の馬を交換する(土馬の起源)

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雄略天皇(三十七)伯孫は赤毛の馬と葦毛の馬を交換する(土馬の起源)

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現代語訳

(即位9年)秋7月1日。河内国が言いました。
「飛鳥戸郡(アスカベノコオリ=河内国安宿郡=現在の大阪府飛鳥部郡)の人の田辺史伯孫(タナベノフビトハクソン)の娘は、古市郡(フルイチノコオリ=河内国古市郡=現在の大阪府羽曳野市古市)の人の書首加龍(フミノオビトカリョウ)の妻です。伯孫は、娘が児(オノコ=男の子)を産んだと聞いて喜んで、聟(モコ=婿と同じ)の家へと行き、月夜に帰りました。蓬蔂丘(イチビコノオカ=地名か未詳)の譽田陵(ホムタノミサザキ=応神天皇の御陵?)の下で赤駿(アカウマ)に騎乗した人に会いました。
蓬蔂は伊致寐姑(イチビコ)と読みます。

その馬は濩略(モコヨカ=躍動感のある)で、竜のように飛ぶ。すっくと聳(ソビ)え立ち、抜きん出ていて、鴻(カリ=鳥の名前=大白鳥)のように、いななきました。神々しい体は峯(カト=実際の字はしんにょうに峯で意味不明)くなって、特別に形が優れていて、立っていてました。伯孫は近づいて見て、欲しいと思いました。乗っていた驄馬(ミダラオウマ=葦毛の馬)に鞭を打って、頭を同じようにして馬の口を並べました。そうすると赤駿(アカウマ)は(並んでいたのに)超えて抜け出て、遠くまで走って行って、あっという間に埃や塵のように見えました。走り抜けて、見えなくなりました。驄馬(ミダラオウマ)は遅れて、遅くて追いつけませんでした。その駿(トキウマ)に乗った人は、伯孫が馬を欲しがっていると分かって、停まって馬を交換して互いに礼をして別れました。伯孫は駿を得てとても喜び、馬を引いて厩(ウマヤ)に入りました。鞍を下ろして、馬秣(マグサ=馬が食べる草)をあげて寝ました。よく朝、赤駿(アカウマ)は土馬(ハニマ=埴輪の馬)に変わっていました。伯孫は不思議に思って、引き返して誉田陵で探しました。驄馬(ミダラオウマ=葦毛の馬)が土馬の間に居るのを見ました。それで取り替えて、代わりに土馬を置いた」
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解説

埴輪の起源
河内国に伝わる「埴輪」の起源です。魏志倭人伝によると卑弥呼が死んだときに、その墓に100人の奴婢を殉葬したとしています。権力者が死んだときに、ついにで殉葬していたらしいですね。その殉葬が酷いということで、人の代わりに埴輪や土馬を埋めるようになったわけです。

その起源が垂仁天皇の殉葬の禁止や、この河内国の赤馬が土馬に化ける話です。まー、地域によって似たような起源説話があったのでしょう。その中の一つを垂仁天皇が取り込んだと。
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原文

秋七月壬辰朔、河內國言「飛鳥戸郡人・田邊史伯孫女者、古市郡人・書首加龍之妻也。伯孫、聞女産兒、往賀聟家而月夜還、於蓬蔂丘譽田陵下(蓬蔂、此云伊致寐姑)、逢騎赤駿者、其馬時濩略而龍翥、欻聳擢而鴻驚、異體峯生、殊相逸發。伯孫、就視而心欲之、乃鞭所乘驄馬、齊頭並轡、爾乃、赤駿超攄絶於埃塵、驅騖迅於滅沒。於是、驄馬後而怠足、不可復追。其乘駿者、知伯孫所欲、仍停換馬、相辭取別。伯孫、得駿甚歡、驟而入廐、解鞍秣馬眠之。其明旦、赤駿變爲土馬。伯孫心異之、還覓譽田陵、乃見驄馬在於土馬之間、取代而置所換土馬也。」
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