呉国からのガチョウを水間君の犬が噛み殺す

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雄略天皇(三十八)呉国からのガチョウを水間君の犬が噛み殺す

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現代語訳

即位10年秋9月4日。身狭村主青(ムサノスグリアオ)たちは呉の献上した二匹の鵝(ガ=ガチョウ)を持って、筑紫に到着しました。この鵝(ガ)は水間君(ミヌマノキミ)の犬に食われて死んでしまいました。
別の本では、この鵝は筑紫の嶺県主泥麻呂(ミネノアガタヌシネマロ)の犬に食われて死んだといいます。

それで水間君は恐怖して憂いて、自然と黙っていられなくなって、鴻(カリ)十隻と養鳥人(トリカイ=鳥を飼う仕事の人)を献上して罪を償いたいと請いいました。天皇は許しました。

冬10月7日に水間君が献上した養鳥人たちを軽村(カルノフレ)・磐余村(イワレノフレ)の二箇所に安置しました。
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解説

身狭村主青は雄略天皇が寵愛した人物で、呉国へと使者として派遣されました。派遣されたのが即位8年2月。このページで帰国したのが即位10年秋9月だから、二年半ほど留学していたことになります。留学としては短いような。

その身狭村主青が呉国から持って帰った「ガチョウ」を立ち寄った筑紫で犬に食べられちゃったと。食べたというよりは、「囓死」と書いてあるように、「噛み殺された」のでしょうね。そういう不手際があった、でも雄略天皇は許した。あの残虐な大悪天皇だけど、青くんには優しい。

それで犬の飼い主だった水間君は怖くなって、ガチョウの代わりに白鳥か何かと、それを飼う「養鳥人」を献上した。これが史実なのかというと分かりませんが、元々は水間君の地域の「養鳥人」の伝承じゃないかと思います。

例えば、犬が鳥をかみ殺すから、守るためにそれ専用の職を作ったとか。そういう伝承があって、日本書紀が取り込んだ、という感じではないかと。

特に雄略天皇の時代は朝鮮半島への進出を頑張ってるから、筑紫の氏族の役割が大きかった。それが水間君の伝承を取り込んだ理由だと。
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原文

十年秋九月乙酉朔戊子、身狹村主靑等、將吳所獻二鵝、到於筑紫。是鵝、爲水間君犬所囓死。別本云「是鵝、爲筑紫嶺縣主泥麻呂犬所囓死。」由是、水間君、恐怖憂愁、不能自默、獻鴻十隻與養鳥人、請以贖罪。天皇許焉。冬十月乙卯朔辛酉、以水間君所獻養鳥人等、安置於輕村・磐余村二所。
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