秦の民を桑栽培のために散らす

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雄略天皇(五十)秦の民を桑栽培のために散らす

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現代語訳

即位16年秋7月。詔(ミコトノリ)して、桑に良い国県(クニアガタ)に桑を植えさせました。また、秦の民を散らせて移して庸調(チカラツキ=絹と高級な絹)を献上させました。
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解説

どうも旧来の古事記・日本書紀の解釈では百済の新羅の技術者とか秦の民っていうのを「外国から来た有難いもの」としたとしているのですが、「移民」じゃないかと思います。

日本も戦後は南米やハワイといった外国へ移民して、そこで「リトルトーキョー」を作っていました。どうして移民するのかっていうと「貧しい」からです。貧しくないなら移民する理由はないです。自国でやっていけないから移民する。日本に「新羅神社」「白木」や「百済」という地名があるのは、自国が貧しいから移民したと考えるべきじゃないかと。
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原文

十六年秋七月詔、宜桑國縣殖桑、又散遷秦民、使獻庸調。冬十月詔、聚漢部、定其伴造者、賜姓曰直。一云「賜漢使主等、賜姓曰直。」
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