讃岐田虫別の言葉と猪使部

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雄略天皇(五十三)讃岐田虫別の言葉と猪使部

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現代語訳

菟代宿禰(ウシロノスクネ)は(自分が)勝てなかったことを恥ずかしいと思い、7日経っても結果の報告をしませんでした。天皇は侍臣(オオモトマヘツノキミ=側にいる部下)に問いました。
「菟代宿禰はなぜ服命(=結果の報告)をしないのか?」
讃岐田虫別(サヌキノタムシノワケ)という人がいて、進み出て申し上げました。
「菟代宿禰は怖気付いて二日一夜の間に朝日郎(アサケノイラツコ)を捕らえることが出来ませんでした。それで物部目大連(モノノベノメオオムラジ)が、筑紫の聞(キク=豊前国企救郡=現在の福岡県北九州市小倉区と門司区)の物部大斧手(モノノベオオオノテ)を率いて朝日郎を捕らえて斬り殺しました」
天皇はそれを聞いて怒りました。すぐに菟代宿禰が所有していた猪使部(イツカイベ)を奪って物部目連に与えました。

即位19年春3月13日。詔して穴穂部を置きました。
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解説

前のページの続き。怖気付いて篭って戦わなかった菟代宿禰の代わりに、物部目連と物部大斧手の活躍でどうにか朝日郎を征伐したのですが、それが恥ずかしくて菟代宿禰が報告しないでいると、それを怒られて、猪使部を取られてちゃうというお話。

猪使部は三重県桑名郡多度町の多度神社の南に「猪飼」という地名があるので、その辺りのことかと思われます。
推測
日本人は山に穀物神がいると思っていて、その神が里に下りてきて畑に宿ることで作物ができると考えていました。では山から里へはどうやって降りるのか? 「狐」「猿」「鹿」「鳥」といった神の使いはそのときに神が乗り移る「乗り物(依り代)」だったのでしょう。その最上級が「天皇」だった。天皇が春に山に登り、国褒めをしたり国見をするのはそういう理由です。

そういう穀物神の乗り物は地域によって差があったんじゃないかと思います。ある地域では猪だった。猪がいることは作物が育つ上で大事。猪使部は「猪を飼っていた部民」とされますが、実際のところはわかりません。そう考えるほうが自然というだけで、猪に関わる部民であって、飼っていたとは限らないのですね。「使」という字が当てられているので、「飼っていた」のとは違うか、ニュアンスが違うのではないかと思います。
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原文

由是、菟代宿禰、羞愧不克、七日不服命。天皇問侍臣曰「菟代宿禰、何不服命。」爰有讚岐田蟲別、進而奏曰「菟代宿禰怯也、二日一夜之間、不能擒執朝日郎。而物部目連、率筑紫聞物部大斧手、獲斬朝日郎矣。」天皇聞之怒、輙奪菟代宿禰所有猪名部、賜物部目連。

十九年春三月丙寅朔戊寅、詔置穴穗部。
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