大伴室屋大連と東漢掬直への遺言

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雄略天皇(五十八)大伴室屋大連と東漢掬直への遺言

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現代語訳

(即位23年)8月7日。天皇の病気はいよいよ重くなりました。百寮(ツカサツカサ=官僚・役人)と別れの言葉を交わし、手を握って悲しみました。大殿で崩御しました。大伴室屋大連(オオトモノムロヤノオムラジ)と東漢掬直(ヤマトノアヤノツカノアタイ)に遺言として詔しました。
「今、まさに、区宇(アメノシタ=天下)は一つの家となり、釜戸の煙は遠く万里まで見える。百姓は統治し易く四方の夷(ヒナ=異民族)は詣でて従う。これは天の意思が区夏(クニノウチ=国内)を安らかにしたいと思っているからだ。だから心を小さくし、己を励まし、1日1日謹んで過ごすのは百姓のためだ。臣、連、伴造(トモノミヤツコ)は毎日朝廷に参上し、国司(クニノミコトモチ)・郡司(コオリノミヤツコ)は従って朝廷に集まる。どうして心府(ココロギモ)を尽くして、誡勅慇懃(イマシムルミコトネンゴロ=勅令で戒め、礼儀正しく)あらないでいられようか。義(コトワリ)では君主と臣下であるが、情においては親子を兼ねている。願わくば、臣・連の智力によって内外の心を喜ばし、天下を長く安らかに楽しく保ちって欲しいと思う。思ってもいなかったことだ。病気が悪くなり、大漸(トコツクニ=常世の国=死者の国、大漸は大病のこと)へと至るということを。これは人生の常の理だ。言うまでもないことだ。ただ、朝野(ミヤコヒナ=都の)衣冠(ミソツモノカウブリ)を鮮麗(アザヤカ)にすることができなかった。教化政刑(オモブクルコトマツリゴトノリ)はまだ良くなっていない。こうやって言葉をあげて思うと、ただ恨み(=残念な気持ち)が残る。
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解説

全体的に創作っぽい。しかしながら、儒教的な上下関係よりも、臣連などが皆で力を合わせて国難に立ち向かっていくという考えは、どちらかというと「和」に近いかと思う。儒教的な考えと日本古来の「和」が組み合わさっていると思います。
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原文

八月庚午朔丙子、天皇疾彌甚、與百寮辭訣並握手歔欷、崩于大殿。遺詔於大伴室屋大連與東漢掬直曰「方今、區宇一家、煙火萬里、百姓乂安、四夷賓服。此又天意、欲寧區夏。所以、小心勵己・日愼一日、蓋爲百姓故也、臣・連・伴造毎日朝參、國司・郡司隨時朝集、何不罄竭心府・誡勅慇懃。義乃君臣、情兼父子、庶藉臣連智力、內外歡心、欲令普天之下永保安樂。不謂、遘疾彌留至於大漸。此乃人生常分、何足言及、但朝野衣冠、未得鮮麗、教化政刑、猶未盡善、興言念此、唯以留恨。
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