吉備稚媛は星川皇子に「大蔵の官を取れ」と語る

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清寧天皇(二)吉備稚媛は星川皇子に「大蔵の官を取れ」と語る

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現代語訳

雄略天皇即位23年8月。大泊瀬天皇(オオハツセノスメラミコト=雄略天皇)が崩御しました。すると吉備稚媛(キビノワカヒメ)は密かに幼い子である星川皇子(ホシカワノミコ)に語って言いました。
「天下の位へと登ろうと思うならば、まず大蔵(オオクラ)の官(ツカサ)を取れ」
長男の磐城皇子(イワキノミコ)は母がその幼子に教えた言葉を聞いて言いました。
「皇太子(=ここでは白髪皇子【=清寧天皇】のこと)はわたしの弟といえども、簡単に欺けるものではありません。そんなことするべきではありません」
星川皇子は、磐城皇子の言葉を聞かず、たやすく母の意思に従いました。それで大蔵の官(ツカサ)を取りました。外門に閂(カンヌキ)を掛けて、閉めて、戦争に備えました。権勢(イキオイ)の自由(ホシキママ)に官物(オオヤケモノ=公費や公共物)を浪費しました。それで大伴室屋大連(オオトモノムロヤオオムラジ)は東漢掬直(アズマノアヤノツカノアタイ)に言いました。
「今、大泊瀬天皇(=雄略天皇)の遺詔(ノチノミコトノリ=天皇の遺言)のとおりになろうとしている。遺詔に従って、皇太子にご奉仕するべきだ」
すぐに軍士(イクサ)を起こして、大蔵を囲みました。外から塞いで閉めて、火をつけて焼き殺しました。
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解説

大伴室屋大連と東漢掬直
この二人が清寧天皇の擁立に強い影響力を持った、ということでしょう。個人的にはこう考えています。雄略天皇は「反葛城」。だから葛城韓媛の子であり清寧天皇は本来は次の天皇にはしたくない。しかし、吉備の星川皇子にも難があった。

雄略天皇のあたりから吉備を悪者とする記述がチョコチョコと出ています。それは「星川皇子」を悪者とするための「伏線」という見方もできますが、「葛城vs非葛城」という図式の一方で「吉備vs大和」という別の勢力争いがあったんじゃないかと思うのです。

葛城に権力を取らせたくない。しかし、かといってこのままでは吉備が権力を取る。それも嫌。朝鮮半島進出によって、経済の中心が大和から西寄りの吉備に移ったのかもしれません。その折衷案として現れたのが「清寧天皇」であり、それを擁立したのが大伴室屋大連と東漢掬直だった、のではないかと思います。
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原文

廿三年八月、大泊瀬天皇崩。吉備稚媛、陰謂幼子星川皇子曰「欲登天下之位、先取大藏之官。」長子磐城皇子、聽母夫人教其幼子之語、曰「皇太子、雖是我弟、安可欺乎、不可爲也。」星川皇子、不聽、輙隨母夫人之意、遂取大藏官。鏁閉外門、式備乎難、權勢自由、費用官物。於是、大伴室屋大連、言於東漢掬直曰「大泊瀬天皇之遺詔、今將至矣。宜從遺詔、奉皇太子。」乃發軍士圍繞大藏、自外拒閉、縱火燔殺。
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