清寧天皇(五)即位と大伴室屋大連と平群真鳥大臣の任命

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清寧天皇(五)即位と大伴室屋大連と平群真鳥大臣の任命

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現代語訳

即位1年春1月15日。有司(ツカサ=官僚・役人)に命じて、壇場(タカミクラ)を磐余(イワレ)の甕栗(ミカクリ=地名と思われるが未詳)に設けて、天皇位に登りました。葛城韓媛(カツラギノカラヒメ)を尊び、皇太夫人(オオキサキ)としました。大伴室屋大連(オオトモノムロヤオオムラジ)を大連とし、平群真鳥大臣(ヘグリノマトリノオオオミ)を大臣としました。これはこれまで通りのことです。臣・連・伴造(トモノミヤツコ)たちはそれぞれの職位(ツカサクライ)のままに仕えました。

冬10月9日。大泊瀬天皇を丹比高鷲原陵(タジヒノタカワシノハラノミサザキ)に葬ったときに、隼人(ハヤヒト)は昼夜、陵(ミサザキ=墓)のほとりで悲しみ号泣しました。食べ物を与えても食べませんでした。7日で死にました。有司(ツカサ=官僚・役人)は隼人の墓を陵の北に作って、儀礼をもって葬りました。この年、太歲庚申でした。
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解説

磐余は「神武天皇」の別名にあるように大和の地名で、昔からある地名です。しかしここに高台を作って天皇位を継いだ清寧天皇の意図は別にあった、と思います。

雄略天皇の時代に磐余には技術者が二種移り住んでいます。

まだまだ吉備の勢力が強く、そこに対抗するためには技術者が戦略上必要だったのかもしれません。日本人は神を喜ばせることによって、天変地異を避け五穀豊穣をお願いする民族です。磐余に住んだ技術者というのはひとつは「養鳥人」で、もうひとつが「琴弾壃手屋形麻呂の祖先」ですから、楽士(音楽を奏でる人)ということを考えると、鳥の料理で音楽で神を喜ばせたのではないかと思います。そういう「良いもの」が磐余には揃っていて、日本を統治するにふさわしいと考えたのではないかと考えています。

とはいっても、磐余はそもそも歴史のある場所で、応神天皇、履中天皇のときにも都が作られていますから、上記の理由が芯を喰っているかは、わかったもんじゃないですよ。
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原文

元年春正月戊戌朔壬子、命有司、設壇場於磐余甕栗、陟天皇位、遂定宮焉。尊葛城韓媛、爲皇太夫人。以大伴室屋大連爲大連、平群眞鳥大臣爲大臣、並如故。臣連伴造等、各依職位焉。冬十月癸巳朔辛丑、葬大泊瀬天皇于丹比高鷲原陵。于時、隼人晝夜哀號陵側、與食不喫、七日而死、有司造墓陵北、以禮葬之。是年也、太歲庚申。
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