弘計王と億計王の譲り合い

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顕宗天皇(三)弘計王と億計王の譲り合い

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現代語訳

白髪天皇(シラカノスメラミコト=清寧天皇)の即位2年冬11月。播磨国司(ハルマノクニノミコトモチ)の山部連(ヤマベノムラジ)の先祖の伊予来目部小楯(イヨノクメベノオダテ)が赤石郡で新嘗(ニイナエ)の供物(タテマツリモノ)を弁(ソナ)えていました。
ある伝によると、郡県(コオリアガタ)を巡って行き、田租(タチカラ=税金)を収めたといいます。

たまたま縮見屯倉首(シジミノミヤケオビト)は新室で縦賞(アソビ=新居の祝いの宴会)をして夜を過ぎて昼になって、会いました。顕宗天皇は兄の億計王(オケノミコ)に語って言いました。
「乱(ワザワイ)が避けて、何年かが過ぎた。名前を明らかにして貴い出自を明らかにするのは、まさに今宵だ」
億計王は痛み、嘆いて言いました。
「それでは、自分から言って殺されるのと、身を完全にして(=五体満足=健康という意味)厄災を免れない(=このまま身元を隠していること)のとどちらが良いか?」
顕宗天皇は言いました。
「吾は去来穗別天皇(イザホワケノスメラミコト)の孫です。にもかかわらず、苦しみにつつも人に仕え、牛馬を飼牧(カ)って来ました。もしも名を明らかにして、殺されてしまっても、いいではないですか!(殺された方がマシ)」
ついに億計王と抱き合って、泣きました。もはや抑えることはできません。億計王は言いました。
「ならば、弟であるお前(=顕宗天皇)以外に誰が、この大節(コトワリ=道理=天皇の血を引くことを明らかにすること)を大きな声で顕著(アラワス)ことができるだろうか!」
天皇は固く乱(イナビ=ここでは反論)て言いました。
「わたしめには才がありません。どうして徳業(オオキナルムネ=徳のある仕事=ここでは天皇の血を引くことを明らかにすること)ができるでしょうか!」
億計王は言いました。
「弟であるお前は英才(カシコク)で賢徳(サカシイ)のです。お前よりも優れた人はいない」
そうしてあと再三、譲り合いました。そうして結果、天皇が自ら称して述べることを許諾して、ふたりで室の外に行き、下風(クラシリ=倉下=座の下=宴会の席の末席)に座りました。
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解説

譲り合う兄弟
綏靖天皇という二代目天皇が即位する経緯にも似たような記述があります。記述というよりは「物語が似ている」ってことです。

ここでは弟が反逆した手硏耳命(タギシノミミノミコト)を弓で射殺したから、その勇気を持って天皇となりました。こういう物語があるということは、ひっくり返すと「兄が天皇になるのが本来」なのに「弟が天皇になっている」から、こういう言い訳めいた物語が必要だったと考えるべきでしょう。
●他にも仁徳天皇と菟道稚郎子もありますが、これは兄の仁徳天皇が即位しています。

ではどうして弟が天皇になったかというと、日本では末子相続だった。まぁ、末子相続は「気のせい」という説もありますが、まぁ、やっぱり末子相続が多いのは事実ですからね。それで末子相続が日本では正しいのですが、儒教では変です。儒教は目上の人間の方が優先ですから、弟が兄を差し置いて天皇になるのはおかしい。だから弟が天皇になるような理由を書き記した。ひっくり返すと「弟が天皇というのは事実」ということになります。
●ただし儒教では王位を譲り合うのが物語のパターンです。

ところで仁徳天皇以降は履中天皇→反正天皇→允恭天皇と兄弟で兄から弟へと相続し、安康天皇→雄略天皇も兄から弟への相続です。ここまでは儒教的に兄から弟へと移っています。しかし、ここに来て、顕宗天皇(弟)→仁賢天皇(兄)と時代の逆流があるんです。

そもそも政治ってのは政争がつきものではありますが、仁徳天皇の発展した平和な社会が、その後の天皇では殺し合いが多く、殺伐としたものとなったのですね。そしてついに清寧天皇で皇子がいなくなり、ここで顕宗天皇と仁徳天皇というふたりの皇子が出現した。このふたりの皇子が実在したかという議論もありますが、このふたりの皇子(天皇)の時代に、儒教から脱却というか、考え直す時期があったんじゃないか?と思います。
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原文

白髮天皇二年冬十一月。播磨國司山部連先祖伊豫來目部小楯、於赤石郡、親辨新嘗供物一云、巡行郡縣、收斂田租也、適會縮見屯倉首、縱賞新室、以夜繼晝。爾乃、天皇謂兄億計王曰「避亂於斯、年踰數紀。顯名著貴、方屬今宵。」億計王惻然歎曰「其自噵揚見害、孰與全身兔厄也歟。」天皇曰「吾是去來穗別天皇之孫、而困事於人飼牧牛馬。豈若顯名被害也歟。」遂與億計王相抱涕泣、不能自禁。億計王曰「然則、非弟誰能激揚大節可以顯著。」天皇固辭曰「僕不才、豈敢宣揚德業。」億計王曰「弟英才賢德、爰無以過。」如是相讓、再三、而果使天皇自許稱述、倶就室外、居乎下風。
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