縄を張って引き渡して出入りする置目

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顕宗天皇(十四)縄を張って引き渡して出入りする置目

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現代語訳

(即位1年2月)この月、詔(ミコトノリ)して言いました。
「老嫗(オミナ)は伶俜(サスラエ=独り身)であり、羸弱(アツシレ)して体は弱っている歩行すら不便な状態だ。縄を張って引き渡して、それによって出入りするようにしよう。縄の端に鐸(ヌリテ=鐘)を掛けて、謁者(モノモウシヒト=取次の人)で手を煩わせ無いようにしよう。入るときは鳴らせ。朕(ワレ)はお前が到着したと分かるから」
それで老女は詔を受けて、鐸を鳴らして進むようになりました。天皇は鐸の音を聞いて、歌を歌って言いました。

浅茅原 小确を過ぎ 百伝ふ 鐸(ヌテ)ゆらくもよ 置目来らしも
歌の訳浅茅原(アサヂハラ=浅い茅の原っぱ)の小确(オソネ=石の混じった痩せた土地)を過ぎて、どこまでも鐸(=鐘)の音が伝わっていくよ。置目が来るぞ。

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解説

老女の置目は山の神のことでしょう。山の神がやってくるとき、鐘を鳴らす、そういう祭祀があった。山の神が里にやってくることで、穀物が育つと日本人は考えていたわけです。だから鐘を鳴らすことは、里に山の神がやってきて、穀物が育つようになるのと同義だった。

独り身だからとか足腰が弱いとか理由はつけていますが、ともかく山の神と鐘の音が結びついていることが言いたかったのでしょう。おそらくは山の神と鐘の音は古来から結びついていた。そういう伝承があって、その伝承を取り込んだのが顕宗天皇の時代だったわけです。

だからこそ置目の名を持った「歌」があった。そうじゃないと歌なんて無いはずです。
ところで鐘を鳴らすと神と会う、というのは現在の神社で鈴を鳴らす根本ではないかと。この置目のくだりが、イコール神社の鈴になっていった、というのも意外と極論じゃないような。
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原文

是月、詔曰「老嫗、伶俜羸弱、不便行步、宜張繩引絚扶而出入。繩端懸鐸、無勞謁者、入則鳴之、朕知汝到。」於是、老嫗奉詔、嗚鐸而進、天皇遙聞鐸聲、歌曰、

阿佐膩簸囉 嗚贈禰嗚須擬 謨謀逗拕甫 奴底喩羅倶慕與 於岐毎倶羅之慕
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