日神「磐余の地を高皇産霊に献上しろ」

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顕宗天皇(二十一)日神「磐余の地を高皇産霊に献上しろ」

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原文

三月上巳、幸後苑、曲水宴。夏四月丙辰朔庚申、日神、著人謂阿閉臣事代曰「以磐余田、獻我祖高皇産靈。」事代、便奏。依神乞獻田十四町、對馬下縣直、侍祠。戊辰、置福草部。庚辰、天皇崩于八釣宮。

現代語訳

(即位3年)3月上巳(カミノミノヒ)に後苑(ミソノ)に壱岐、曲水宴(メグリミズノトヨノアカリ)を催しました。

夏4月5日。日神は人に神掛かって、阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)に語って言いました。
磐余(イワレ)の田を我が祖先の高皇産霊(タカミムスヒ)に献上しろ」
事代はすぐに天皇に申し上げました。神が乞(コワシ=請うこと)のままに田14町を献上しました。対馬下県直(ツシマシモノアガタノアタイ)を祠(マツリ=ホコラ=宗教施設)に従事させました。

13日福草部(サキクサベ)を置きました。

25日。天皇は八釣宮(ヤツリノミヤ)で崩御しました。
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解説

このページは前の「顕宗天皇(二十)月の神の宣託・歌荒樔田に祠を立てる」と対になっています。任那に行った阿閉臣事代が「高皇産霊のために土地を献上しろ」と神託を受けた。事代という名前は「事代主」に通じます。おそらく、「事代」というのは、巫女が神掛かって受けた言葉を解釈するという意味なんでしょう。巫女はトランス状態で訳の分からない言葉を口走るから、言葉をそのままには受け取れない。だから事代という「神の通訳」が必要だった。それはつまり神の意志というのは事代の思うがままに変えられるということになります。

阿閉臣事代は任那で「高皇産霊」という新しい神と出会い、この霊威を大和朝廷に持ち込もうとした。日本は強い神はどんどんと取り入れて使い倒す国です。神を入れ替えるのが当たり前だった。
高皇産霊は朝鮮の神か?
高皇産霊は朝鮮由来の神というのがよく聴く定説なのですが、根本的な問題として高皇産霊が「完全な日本語の名前」なのはおかしいです。また朝鮮半島には「創世の神話」がそもそもありません。だから「世界を作った神、高皇産霊」が朝鮮由来というのはあり得ない。

では高皇産霊はどこから来たのか?
当然任那。
では、どうして日本語の神なのか?

任那の朝鮮南部は魏志倭人伝によると「倭」でした。だから任那に「日本語の名前の神」がいてもおかしくない。任那に創世の神がいたのは、その神話伝承が「東南アジア」から来たからではないか?と思います。朝鮮には創世の神話が無いのだからしょうがない。

しかし任那という広範囲に創世の神話があったのならば、後に断片的にも創世の神話があってもおかしくない。それを檀君神話に求めることも出来なくもないですが、檀君神話はあまりに短く、時代背景を考えると13世紀に無理やりの創作されたと考えるべきです。
福草部
福草が何を指しているかは不明。三枝と同じ意味だと思われるが三枝もよく分からない。三枝は葉っぱや枝が「三股」になっているもので、吉兆とされたのでしょう。
個人的には「常緑樹」が特別視されたことから考えても、常緑樹や霊威の強い植物を調達してくる「神官」が福草部だったんじゃないかと推測。
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