菱城邑の泣く女

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仁賢天皇(七)菱城邑の泣く女

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原文

菱城邑人・鹿父鹿父、人名也。(俗、呼父爲柯曾)、聞而向前曰「何哭之哀、甚若此乎。」女人答曰「秋葱之轉雙雙、重也納、可思惟矣。」鹿父曰「諾。」卽知所言矣。有同伴者、不悟其意、問曰「何以知乎。」答曰「難波玉作部鯽魚女(言鯽魚女、此云浮儺謎)、嫁於韓白水郎嘆、(韓白水郎嘆、此云柯羅摩能波陀該。嘆、耕麥田之也)、生哭女。(哭女言哭女、此云儺倶謎)、嫁於住道人・山杵、生飽田女。韓白水郎嘆與其女哭女、曾既倶死。住道人山杵、上姧玉作部鯽魚女、生麁寸。麁寸、娶飽田女。於是、麁寸、從日鷹吉士、發向高麗。由是、其妻飽田女、徘徊顧戀、失緖傷心。」哭聲尤切、令人腸斷。
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現代語訳

菱城邑(ヒシキムラ=和泉国大島郡菱木?)の人の鹿父(カカソ)はその泣く声を聞いて、その前に立って向かって言いました。
鹿父は人の名前です。世の人は父を「柯曾(カソ)」と呼んでいました。

「どうしてそのように酷く悲しく泣いているのか?」
女人は答えて言いました。
「秋葱(アキキ)の転双納(イヤフタゴモリ=二つのものが一つに包まれていること)のことを思ってください(秋の葱の茎が二本が一緒に包まれているのを想像してください。そういう二重苦だから泣いているのですよ、という意味)。」
鹿父は言いました。
「わかった」
すぐにその言葉の意味を理解しました。同伴者(トモダチ)が一緒にいて、その意味を悟らず、問いて言いました。
「何が分かったのか?」
答えて言いました。
「難波玉作部鯽魚女(ナニワノタマツクリベノフナメ)は韓白水郎嘆(カラマノハタケ)に嫁いで哭女(ナクメ)を生みました。この哭女は往道(スムチ=摂津国住吉軍往道郷=現在の大阪市東住吉区矢田往道町)の人の山杵(ヤマキ)に嫁いで飽田女(アクタメ)を生みました。韓白水郎嘆とその娘の哭女はすでに二人とも死にました。往道の人の山杵は以前に玉作部鯽魚女を犯して麁寸(アラキ)を生みました。麁寸は飽田女を娶りました。麁寸は日鷹吉士(ヒタカノキシ)に従って、高麗に出発していきました。それでその妻の飽田女は徘徊し恋忍び、心を乱して、傷つきました。それで哭く声は切なく、人を断腸の想いにしたのです」
鯽魚女は浮儺謎(フナメ)と読みます。
韓白水郎嘆は柯羅摩能波陀該(カラマノハタケ)と読みます。嘆(ハタケ)とは麦を作る田のことです。
哭女は儺倶謎(ナクメ)と読みます。

注意韓白水郎嘆の「嘆」は表示でき無いから「嘆」となっていますが、実際には「口へん」ではなく「田へん」です。
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解説

地方神話でしょうね
なんか登場人物のドロドロとした関係を想像しちゃって、なんか古代史って怖いななんて思いがちですが、おそらく地域の神話でしょうね。

フナメという川関係の名前の人物「難波玉作部鯽魚女」が、麦畑の名前の人物「韓白水郎嘆」と結婚して、生まれたのが「泣き女」です。泣き女というのは葬式でワンワン泣いて場を盛り上げる女性で、これは現在でも韓国に職業として存在しています。その哭く女が嫁いだ先が「山杵」です。その哭く女と山杵の間に生まれたのが飽田女、一方、山杵と鯽魚女の間に生まれたのが麁寸。そして麁寸と飽田女は結婚。

登場人物が自然に関わる名前で、どー考えても「神話・伝承」で、個人名とは考え難い。例えば、最初のフナと麦畑という組み合わせは、日本神話での「山幸彦(山)」「豊玉毘売(海)」でしょう。そういう陸と海(川)の組み合わせによって「権力」が生まれるという話は神話ではスタンダードです。この二人の間に生まれた「泣き女」は、神官という意味でしょう。また山杵はまた山の神。神官と山の神の間の娘と、以前のフナを司る川の神と山の神が結びついて生まれた「アラキ」が結婚する。アラキが具体的には何を指しているのかは分かりません。「荒城」か「新城」か、もっと別の何かか。
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