葬送の歌

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武烈天皇(六)葬送の歌

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現代語訳

歌を作って言いました。
石上(イソノカミ) 布留(フル)を過ぎて 薦枕(コモマクラ) 高橋(タカハシ)過ぎ 物(モノ)多(サワ)に 大宅(オオヤケ)過ぎ 春日(ハルヒ) 春日(カスガ)を過ぎ 妻(ツマ)隠(ゴモ)る 小佐保(オサホ)を過ぎ 玉笥(タマケ)には 飯(イイ)さへ盛り 玉盌(タマモイ)に 水(ミズ)さへ盛り 泣き沾(ソホ)ち行くも 影媛あはれ
歌の訳石上の布留(フル=地名)を過ぎて、(コモマクラは高の枕詞)高橋を過ぎて、(モノサワは大宅に掛かる枕詞)大宅を過ぎて、(ハルヒは春日に掛かる枕詞)春日を過ぎて、(ツマゴモルは小佐保に掛かる枕詞)小佐保を過ぎて、玉で出来た立派な綺麗な食器に飯を盛って、玉で出来た立派なお椀に水を盛って、泣き濡れて行く、影媛はかわいそうだ
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解説

地名について
石上は奈良県天理市石上。
布留は奈良県天理市布留。
高橋は奈良県奈良市杏町高橋。
大宅は奈良県奈良市白毫寺。
春日は奈良県奈良市春日山。
小佐保は奈良県奈良市佐保川町。
歌は葬送の歌謡
つまり全部の土地がかなり近い場所で、奈良を南から北へと歩いて行っています。この歌の意味は「葬送」だったよう。影媛が鮪臣を葬送するという歌になっているのですが、もともとは、葬式のときに歌う儀礼の歌だったんじゃないかと思います。
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原文

遂作歌曰、
伊須能箇瀰 賦屢嗚須擬底 舉慕摩矩羅 柁箇播志須擬 慕能娑幡儞 於裒野該須擬 播屢比 箇須我嗚須擬 逗摩御暮屢 嗚佐裒嗚須擬 拕摩該儞播 伊比佐倍母理 拕摩暮比儞 瀰逗佐倍母理 儺岐曾裒遲喩倶謀 柯㝵比謎阿婆例
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