大伴金村による真鳥の誅殺と塩の呪い

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武烈天皇(八)大伴金村による真鳥の誅殺と塩の呪い

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現代語訳

(仁賢天皇即位11年)冬11月11日。大伴金村連(オオトモノカネムラノムラジ)が太子に語り言いました。
「真鳥(マトリ)の賊(アタ)を撃つべきです。頼まれれば、誅殺いたしましょう!」
太子は言いました。
「天下が乱れようとしている。世に稀なすぐれた勇猛な人でなければ、ことを成すことはできない。これを容易くできる者は、連(ムラジ=大伴金村のこと)ではないか!」
すぐに共に策謀しました。それで大伴大連(オオトモノオオムラジ)は兵を率いて自らを将軍として、平群大臣の宅を囲みました。火を放って焼きました。さしまねく所は雲のようになびきました(さしまねくは指揮し招くこと。平群の宅が燃えて消えて無くなる様子…かと思います)。真鳥大臣はことが成らないことを恨んで、死からその身を免れられないと悟りました。真鳥の王になる計画は窮して、望みは絶えました。広く塩を指して呪いを掛けました。ついに殺されてしまいました。殺戮は子弟(ヤカラ=家族氏族)にまで及びました。呪いを掛けたときに、ただ角鹿海(ツヌガノウミ)の塩をのみ忘れて呪いを掛けませんでした。しれで角鹿の塩は天皇の所食(オモノ=食料)として、他のウミの塩は天皇の所忌(オオミイミ=食べられないもの)としました。
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解説

大伴金村はこれ以降、強い権力を持ち、政治に関わることになります。それは平群臣真鳥も同じことです。真鳥も強い権力を得て、ここで殺されましたが、「王」を狙えるところまで権力を得たわけですから、かなりの有力者だったハズです。

よく日本書紀は「編纂時の人物の都合が反映されている」と言われるのですが、平群にしても大伴にしても編纂時には強い権力はありません。その割には、「悪いところ」も書いてありますが「良いところ」もちゃんと書いてあるんですよ。ここでは金村は天皇を補佐する頼もしい人物です。平群氏も(真鳥ではないですが)履中天皇の窮地を救うなどしたシーンがあります。

本当に編纂時の権力者の都合が反映されているならば、もっと「悪く」書いてもいいと思うのです。最初から最後まで、ガッツリと悪く書いてもいいでしょう。そこを書かずに、良いところも書いたというのは、日本書紀や古事記の編纂の理由は、もっと別のところにあるんじゃないか?というのが個人的な意見です。
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原文

冬十一月戊寅朔戊子、大伴金村連、謂太子曰「眞鳥賊、可擊。請討之。」太子曰「天下將亂、非希世之雄不能濟也。能安之者、其在連乎。」卽與定謀。於是、大伴大連、率兵自將、圍大臣宅、縱火燔之。所撝雲靡、眞鳥大臣、恨事不濟、知身難兔。計窮望絶、廣指鹽詛。遂被殺戮、及其子弟。詛時、唯忘角鹿海鹽、不以爲詛。由是、角鹿之鹽、爲天皇所食、餘海之鹽、爲天皇所忌。
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