女に馬の交尾を見せる・苑での酒宴と痴態

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武烈天皇(十四)女に馬の交尾を見せる・苑での酒宴と痴態

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原文

八年春三月、使女躶形坐平板上、牽馬就前遊牝。觀女不淨、沾濕者殺、不濕者沒爲官婢、以此爲樂。及是時、穿池起苑、以盛禽獸而好田獵、走狗試馬、出入不時、不避大風甚雨。衣温而忘百姓之寒、食美而忘天下之飢。大進侏儒倡優、爲爛漫之樂、設奇偉之戲、縱靡々之聲。日夜常與宮人沈湎于酒、以錦繡爲席、衣以綾紈者衆。

冬十二月壬辰朔己亥、天皇崩于列城宮。

現代語訳

即位8年春3月。女を裸にして平な板の上に座らせて、馬を女たちの前に連れてきて交尾させました。女の不浄(ホトドコロ=女性器)を見て、濡れている者は殺しました。濡れていない者を没(カラ=位を落として)めて官婢(ツカサヤツコ)としました。これを楽しみとしました。このときに、池を掘り、苑(ソノ=庭園)を作って、禽獣(トリケモノ)でいっぱいにしました。そうして田猟(カリ)を好み、狗(イヌ)を走らせて馬と試合させました。入ったきりなかなか出てきませんでした。大風と雨が去らないというのに、衣で暖かくしているので百姓が寒さに震えることを忘れてしまいました。食べものが美味しくいので天下の飢えを忘れてしまいました。侏儒(サキヒト=小人)・倡優(ワザオキ=俳優=今でいうと芸人)を入れて、乱れた音楽を流して、奇異な遊びをして、ふしだらな声をあられもなく発していました。昼も夜もずっと宮人と酒に沈み溺れ、錦の布を敷物としました。綾紈(アヤシラキヌ=上等な絹)を着ているものが多くいました。

冬12月8日。天皇は列城宮(ナミキノミヤ)で崩御しました。
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解説

最後まで残虐かつ放蕩
武烈天皇はこの記述を読むと、残虐で、なおかつ非常に金遣いの荒い、ルール無用なひどい天皇ということになります。理由の一つは武烈天皇が法治主義で、のちの徳治主義の目線から見ると、そういう評価になる、ということ。
もう一つの理由が、「易姓革命」です。儒教の考えでは道徳が大事で、道徳のある人物が王になります。しかし道徳がなくなったり、もっと道徳のある人物が現れたらどうするか? となるとこれが「易姓革命」です。儒教では「王朝が変わる」ことを認めているんですね。そういう意味では、権力が儒教の世界観の中にあるってことなんです。
それで、新しい王が生まれたら、何をするかっていうと前の王を徹底的に批判・否定します。なにせ「道徳がある」ことが王の条件ですから、前の王がいかに道徳が無かったかと説明することが権力を安定させる大事な仕事なわけです。そこでボロクソに書きます。それが武烈天皇の残虐と放蕩の原因ではないかと思います。

それはつまり、継体天皇が新王朝であるという意味になります。まぁ、実際に新王朝で、血統がぜんぜん違うとは限りません。それに、易姓革命という見解も仮説です。
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