父王の死・母の振媛の実家の越後国高向へ

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継体天皇(二)父王の死・母の振媛の実家の越後国高向へ

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原文

天皇幼年、父王薨。振媛廼歎曰「妾、今遠離桑梓、安能得膝養。余歸寧高向高向者、越前国邑名奉養天皇。」天皇壯大、愛士禮賢、意豁如也。

現代語訳

天皇は幼い年のときに、父(=彦主人王)が亡くなってしまいました。振媛(フルヒメ=継体天皇の母)はとても嘆いて言いました。
「わたしめは、今、遠く桑梓(モトツクニ=故郷のこと)を離れました。どうして膝養(ヒダシマツル=親の面倒を見ること)ことが出来るだろうか? わたしめは高向(タカムコ=越前国坂井郡高向郷)に帰寧(オヤトブラウ=嫁に行った女性が里に帰って親を世話すること)をしながら、継体天皇を養育しましょう」
高向は越前国の邑の名前です。

天皇は壮大(オトコザカリ=壮年)となって、士(ヒト)を愛で、賢(サカシキ)に礼を払って敬い、心広く心豊かでした。
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解説

近江国で生まれた継体天皇は父の死後に母親の実家である越後国高向へと引っ越すことになりました。古代では、女系家族ですから、子供は母親の実家によって育てられるのが普通でした。だから、平安時代の天皇も幼少時に母の実家で育てられ、実父である天皇よりも、母方の祖父母の影響を強く受けるようになり、それが藤原氏の摂関政治の根本になったわけです。

じゃあ継体天皇が越後に引っ越したのはどういうことか? と考えると、そもそも「近江出身」という設定にしたのが「嘘」で、それまでの天皇家とはなんの関係もない人物だった! というのも無いとは言えないのですよね。

でも、さすがに越後は中央(大和)から遠い。仮にも天皇の血を引く人物ならば、中央に近いところに居た方がチャンスがあるでしょうよ。そう考えると父が死んだことで、それならまぁ諦めて都落ちというか、実家がある越後に引っ込んだという経緯でも不思議じゃ無い。つまり、王朝が変わったという疑惑はあるけども、決定的とは言え無いなぁという曖昧なところですね。

ま、結構な人が「王朝は変わった」とうたぐってるんですけど。
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