河内馬飼首荒籠の使者と樟葉宮

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継体天皇(五)河内馬飼首荒籠の使者と樟葉宮

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現代語訳

しかし継体天皇は内心、まだ疑いがあったので長く天皇位にはつきませんでした。継体天皇はたまたま河内馬飼首荒籠(カウチノウマカイノオビトアラコ)を知っていました。そこで密使を派遣して、詳細に大臣・大連が迎えに来た所以の本意(モトツココロバエ=本心)を説明し述べました。そこに留まり、2日と3夜でついに出発しました。それで継体天皇は嘆いて言いました。
「良いやつだ。
馬飼首(ウマカイノオビト)!
お前がもしも使者を派遣して来て告げてくれなかったら、危うく天下の笑い者になるところだった。世間の人は言った。
『貴賎(タウトクイヤシキ)を論(アゲツラウ)ことなかれ。ただその心をのみ重要に考えるべきだ』
これは荒籠(アラコ)のことを言っているようだ!」
践祚(アマツヒツギシロシメス=天皇位を継ぐこと)に至り、厚く、荒籠に寵(メグミ=愛)を加えました。

12日。天皇は樟葉宮(クスハノミヤ)に行き至りました。
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解説

河内馬飼首荒籠
河内馬飼首荒籠は卑しい人物だった。だから『貴賎(タウトクイヤシキ)を論(アゲツラウ)ことなかれ。ただその心をのみ重要に考えるべきだ』という発言になるわけです。卑しい身分の人物ではあるが、中央の正しい情報がもたらされた。それで継体天皇は天皇になる決意をしたと。

馬飼という仕事はおそらく卑しい仕事だったはずです。日本人は動物を扱う仕事を穢れていると考えていて、古くは蝦夷、その後は朝鮮人にやらせました。動物というよりは「動物の屍体」に触れる仕事が卑しいのでしょう。

室町時代になると、この動物の屍体を処理する仕事を「エタ・ヒニン」にやらせることになります。
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原文

然天皇、意裏尚疑、久而不就。適知河內馬飼首荒籠、密奉遣使、具述大臣大連等所以奉迎本意。留二日三夜、遂發、乃喟然而歎曰「懿哉、馬飼首。汝若無遣使來告、殆取蚩於天下。世云、勿論貴賤、但重其心。蓋荒籠之謂乎。」及至踐祚、厚加荒籠寵待。甲申、天皇行至樟葉宮。
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