春日皇女の嘆き・嗣の無い悔恨

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継体天皇(二十)春日皇女の嘆き・嗣の無い悔恨

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原文

八年春正月、太子妃春日皇女、晨朝晏出、有異於常。太子意疑、入殿而見、妃臥床涕泣、惋痛不能自勝。太子怪問曰「今旦涕泣、有何恨乎。」妃曰、「非餘事也。唯妾所悲者、飛天之鳥、爲愛養兒樹巓作樔、其愛深矣。伏地之蟲、爲護衞子土中作窟、其護厚焉。乃至於人、豈得无慮。無嗣之恨、方鍾太子、妾名隨絶。」於是、太子感痛而奏天皇、詔曰「朕子麻呂古、汝妃之詞深稱於理。安得空爾無答慰乎。宜賜匝布屯倉表妃名於萬代。」

現代語訳

即位8年春1月。太子の妃の春日皇女(カスガノヒメミコ)は朝、遅くに出てきて、いつもと違っていました。太子はおかしいと疑って、殿(ミヤ)に入って見ました。妃は床に臥して泣いていました。悶え苦しんで嘆いて、耐えられないほどでした。太子はおかしいと思って問うて言いました。
「ほかのことではありません。わたしめが悲しんでいるのはこういうことなのです。飛天之鳥(トブトリ)も児を愛し養うために樹のてっぺんに巣を作ります。その愛は深いものです。土に這う虫も子を守るために、土の中に穴を掘ります。その護りは厚いものです。人となればどうして、その思いが無いといえましょうか(子を守りたいという気持ちがあるに決まっています)。世継ぎとなる子がいない悔恨や申し訳ない気持ちが太子様へあります。わたしめの名はこのままでは絶えてしまいます」
太子は痛感して、天皇に申し上げました。継体天皇は詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕の子の麻呂古(マロコ=「坊や」といった意味の愛称=ここでは勾大兄皇子のこと)よ。お前の妃の言葉は、深い理(コトワリ)にかなったものだ。どうして、つまらないことだと答えて慰めないで良いと言えるだろうか? 匝布屯倉(サホノミヤケ)を与えて、妃の名を万代(ヨロズヨ)まで表せ」
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解説

御名代を残した
春日皇女の御名代を残しましたよーという経緯がこのページです。ところで、「継体天皇(十九)勾大兄皇子は春宮につき、朕を助けて欲しい」で勾大兄皇子(安閑天皇)は皇太子になっているのですが、そこではこれまでのように「日付」+「皇太子になったよ」という書き方をしていないんですよね。この御名代でも、これまでとは書き方が違うんですよね。書いた人が違うか、元ネタが違うってことじゃないかと思います。
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