五経博士の漢高安茂・百済と高麗の使者の来朝

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継体天皇(二十三)五経博士の漢高安茂・百済と高麗の使者の来朝

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現代語訳

即位10年夏5月。百済は前部木刕不麻甲背(ゼンホウモクラフマカフハイ)を派遣して物部連たちを己汶(コモン)でねぎらい、率いて国に入りました。群臣たちはそれぞれ衣裳(キモノ)・斧鉄(オノカネ)・帛布(キヌ)を出して、国の特産物を加えて、朝廷(ミカド)に積んで置きました。慰め話し合い、慇懃(ネンゴロ=懇意)になりました。賞禄(タマイモノ)は豊かでした。

秋9月。百済は州利卽次将軍(ツリソシショウグン)を派遣して物部連に添えて来て、己汶(コモン)の土地を与えられることに感謝しました。それとは別に五経博士の漢高安茂(アヤノコウアンモ)を献上して、五経博士の段楊爾(ダンヨウニ)と替えて欲しいと申し出ました。申し出たままに替えました。

9月14日。百済は灼莫古将軍(ヤクマクコショウグン)・日本斯那奴阿比多(ヤマトノシナノアヒタ)を派遣して高麗の使者の安定(アンテイ)たちに添えて、朝廷に来て友好を結びました。
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解説

前半部はちょっとよく分からない
他の訳では前部木刕不麻甲背が「百済に入った」と書いてあるのですが、ここの「国」というのは「大和」のことだろうと想います。この文章は百済の文書の引用なんじゃないかなぁと。
五経博士
五経博士とは儒教の博士のことです。その継体天皇7年6月に日本にやってきた五経博士の段楊爾と交換で、漢高安茂が日本にやって来ています。どうして交換したんでしょうかね。
参考姐彌文貴将軍と洲利卽爾将軍・五経博士の段楊爾

安定した関係?
百済の使者が高麗の使者とともに日本にやってきて友好を結ぶ。安定した関係だなぁと想います。しかし、これってどうなんでしょうね。歴史では朝鮮半島が安定しているとは言い難いので、このあたりは別の見解が必要だと想います。

わたしとしては揉め事を嫌う日本が、百済と高麗の関係修復に一役買おうとした…ってことのような気がします。
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原文

十年夏五月、百濟遣前部木刕不麻甲背、迎勞物部連等於己汶而引導入國。群臣各出衣裳・斧鐵・帛布、助加國物、積置朝庭。慰問慇懃、賞祿優節。秋九月、百濟遺州利卽次將軍、副物部連來、謝賜己汶之地、別貢五經博士漢高安茂、請代博士段楊爾。依請代之。戊寅、百濟遺灼莫古將軍・日本斯那奴阿比多、副高麗使安定等、來朝結好。
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