筑紫君葛子は獻糟屋屯倉を献上

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継体天皇(二十九)筑紫君葛子は獻糟屋屯倉を献上

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現代語訳

即位22年冬11月11日。大将軍の物部大連麁鹿火(モノノベノオオムラジアラカイ)は賊(アタ=敵)の師(ヒトゴノカミ)の磐井(イワイ)と筑紫の御井郡(ミイノコオリ=筑後国御井郡=現在の福岡年三井郡)で交戦しました。旗鼓(ハタヅツミ)は互いに臨み見あい、兵士たちが舞い上がらせた埃塵(チリ)が乱れ合い、勝負を決する機をふたつの陣の間に定めて、死んでも土地を去らない。ついに磐井を斬り、結果、疆場(サカイ)を定めました。

12月に筑紫君葛子(ツクシノキミクズコ)は父の罪によって誅殺されるのを恐れて、獻糟屋屯倉(カスヤノミヤケ=現在の福岡県糟屋郡)を献上して死罪を許して欲しいと求めました。
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解説

軍隊の描写は中国の「芸文類聚」から引用です。よってこのあたりの表現にはあまり意味がないかと思われます。
磐井
ついに古代最大の反乱とも言われる磐井の乱が終了。磐井の反逆によってその子の筑紫君の葛子まで罪に問われてしまって、その土地を大和朝廷に奪われます。この「罪の代わりに土地とか財産を」というパターンは過去に見られます。まぁ、どこの国でも珍しくないでしょうけど。
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原文

廿二年冬十一月甲寅朔甲子、大將軍物部大連麁鹿火、親與賊帥磐井交戰於筑紫御井郡。旗鼓相望、埃塵相接、決機兩陣之間、不避萬死之地、遂斬磐井、果定疆場。十二月、筑紫君葛子、恐坐父誅、獻糟屋屯倉、求贖死罪。
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