民主主義・法治主義と神

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民主主義・法治主義と神

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概要

まとめ
●キリスト教には絶対的な神がいる。
●民主主義はプロテスタントの思想を元にしている。
●絶対的な神に比べれば、人間の優劣・貧富・人種なんて些細な違いでしかない。だから、個人の「権利」は平等にある。
●人は神によって作られたもので、命は神のもの。だから個人の命は勝手にしてはいけない。これが「人権」。
●人権や平等という思想はキリスト教の「神」の視点を元にしている。

民主主義・法治主義と神

実は「現代の」法治主義ってのは何が元になっているかというと、「神」なんです。神様がいて、神様が世界を作った。神様が人間の命を作った。人間は皆、神の子なんです。だから人間には「権利」があるんです。そう明記されていなくてもそういう視点があって作られているんです。人の命は神が作ったものですから、人が自由にしてはいけないんです。貧しさで死んではいけないし、不当な暴力に苦しんではいけないし、戦争で罪のない命が失われてはいけないんです。だから人間としての権利を法律で保証しないといけない。それが「人権」です。「神から与えられた人権」を守るために、世界中の国家は生活保護費を支給したり権利を守るための法律を作っているんです。
平等とは?
また神様ってのは世界を作るほどの能力者ですから、この神様に比べれば、人間の能力差や体格差や肌の色なんてのは小さな問題なんですね。だから「平等」に「投票権」というものがあるんですよ。だって大学出た人と小学校しか出てない人で「投票権」が同じ一票っておかしいでしょう? 毎年数千万円の税金を納めている人と生活保護で生活している人が同じ一票っておかしいでしょ? その「おかしさ」を埋めているのが「絶対的存在の神」なんです。絶対的な神がいるからこそ、その神様に比べれば、人間の優劣・貧富・人種の違いなんて微々たるもの。よって「平等」なんです。
平等と権利
だから人間は「平等」であり、様々な「権利」があるんです。一人一人が投票権を持ち、最低限の生活を保障されるのは「神」がいるからです。また法律ってのは神のとの約束です。裁判も神の名で行われるものです。つまり民主主義と法治主義ってのは「神」を元にしているんです。神の視点から考えたら…というのが根本なんです。
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儒教には神がいない

ところが韓国には「神」が居ないんです。
韓国は儒教の国で、儒教というのは神がいないんです。
だから儒教は宗教じゃないって説が強いんですね。ちなみに韓国人は儒教が神を否定していることを「現実的」だと思っていて、誇りに感じているようなのですが、ま、それはどうでもいいでしょう。ともかく法治主義・民主主義が神の目線から作られた思想なので、この「産経新聞ソウル支局長起訴事件」は、言論弾圧とかそういう問題よりもずっと手前の問題なんだってことです。これらの民主主義とか法治主義という「思想」を韓国人ではなかなか理解できないというのが、この事件の根っこなんです。
日本の場合
●日本の民主主義と法治主義もキリスト教的な民主主義・法治主義とは構造が違う。
●日本は古来から「和」であり、民主主義的な感覚があった。また「みんなで決めた法律は守る」という「和」の感覚が日本の法治主義の根本になっている。
●ただし、「人権」という感覚は薄い。これは日本の神が絶対的な存在ではないから。
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