県主飯粒は喜んで土地を献上・味張をクビ

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安閑天皇(七)県主飯粒は喜んで土地を献上・味張をクビ

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現代語訳

(即位1年)閏12月4日。安閑天皇は三嶋(ミシマ=現在の大阪府三島郡)に行きました。大伴大連金村は従って行きました。天皇は大伴大連を使者として、良田を県主飯粒(アガタヌシイイボ)に問いました。県主飯粒は限りなく喜びました。慎み、敬って、誠意を尽くしました。それで上御野(カミノミノ)・下御野(シモノミノ)・上桑原(カミノクワハラ)・下桑原(シモノクワハラ)、あわせて竹村(タカフ=上記4つの土地の総称?)の土地をすべての40町(ヨソトコロ=町は面積の単位)を奉り献上しました。大伴大連は勅宣を受けて言いました。
「率土之下(アメノシタ=天下)、王の封(トコロ)ではないものは無い。普天之上(クニノウチ)王の域(トコロ)ではないものは無い。それで前の天皇である継体天皇は顕号(イチシロキミナ=権威のある名)を建て、鴻名(ヒロキミナ=大きな名声)を垂れ、広く大きな乾坤(アメツチ=天地)に添い、光華(ヒカリウルワシキコト=光り華々しい様子)は日月のようであった。長い道のりを行き、遠くの人民を撫で、東へ西へと都の外に越えて出て、区域(クニノウチ)を磨き、鏡のように照らして、限りなく充ち満ちていました。上は九垓(ココノツノミチ=天の限界)にまで届くほどに、隅々まで八表(ヤモ=八面=全方向)に広がりました。礼(ノリ)を制定して功(イタワリ=成果)が成ると告げ、楽(ウタマイ=歌舞)をおこして治(マツリゴト=政治)を定まるようにして、その影響が現れました。福応(コタエ=答え)は允(マコト)に至り、祥慶符合(ヨキヨロコビムカシノトシ)に符合しました。今、お前、味張(アジハリ)よ。率土(クニノウチ=国内)の幽(カスカ)で卑しい百姓にすぎない。王の土地を惜しみ、使者の宣旨(ノタマウオオミコト)を軽んじて背いた。味張。今より以後、郡司(コオリノミヤツコ)の地位を預けることはない」
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解説

お話としてはこういうことです。

安閑天皇が三嶋に行って、「土地を頂戴」というと、その土地の主である三嶋県主飯粒が喜んで土地を献上したと。それで大伴金村が言い始めるわけです。
「安閑天皇の父である継体天皇はすごい天皇だった。その子供である安閑天皇を舐めた味張は許せない」
味張ってのは、「土地を献上して」と言われたのですが、嘘をついて献上しなかったっていう経緯があります。
参考
安閑天皇(五)大河内直味張の雌雉田
「今、お前、肥えた雌雉田(キジタ)を献上するべし!」
味張は献上するのが惜しくて、勅使を騙して言いました。
「この田は天旱(ヒデリ=日照り)して漑(ミズマカセ=水を送る)が難しく、水はあふれやすく、水が浸み込みやすいのです。功(イタワリ)を尽くすことが非常に多いのですが、収穫ははなはだ少ないのです」
勅使は言葉のままを報告しましたが、隠せませんでした。

ここから見えること
継体天皇は武烈天皇のときに世継ぎがいないので、越後から大伴金村が連れてきた人物です。そして安閑天皇はその子。安閑天皇が舐められるというのはつまり「大伴金村が舐められている」のと同義なわけです。まぁ、金村が舐められるというのが言い過ぎでも金村には責任はありますよね。
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原文

閏十二月己卯朔壬午、行幸於三嶋、大伴大連金村從焉。天皇使大伴大連、問良田於縣主飯粒。縣主飯粒、慶悅無限、謹敬盡誠。仍奉獻上御野・下御野・上桑原・下桑原幷竹村之地凡合肆拾町。大伴大連、奉勅宣曰「率土之下、莫匪王封。普天之上、莫匪王域。故先天皇、建顯號垂鴻名、廣大配乎乾坤、光華象乎日月、長駕遠撫、横逸乎都外、瑩鏡區域、充塞乎無垠、上冠九垓、旁濟八表、制禮以告成功、作樂以彰治定、福應允致、祥慶符合於往歲矣。今汝味張、率土幽微百姓、忽爾奉惜王地、輕背使乎宣旨。味張、自今以後、勿預郡司。」
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