安閑天皇(十二)各地の屯倉

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安閑天皇(十二)各地の屯倉

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現代語訳

(即位2年)5月9日。筑紫の穗波屯倉(ホナミノミヤケ=筑前酷穂浪郡穂波郷=現在の福岡県嘉穂郡穂波長)・鎌屯倉(カマノミヤケ=筑前国嘉麻郡=現在の福岡県嘉穂郡東半)・豊国(トヨノクニ)の滕碕屯倉(ミサキノミヤケ=未詳)・桑原屯倉(クワハラノミヤケ=筑後国上妻郡桑原郷=現在の福岡県八女郡黒木町)・肝等屯倉(カトノミヤケ=豊前酷京都郡刈田郷?=現在の福岡県京都郡刈田町?)
音を取って読め(音読みしろという意味)

大拔屯倉(オオヌクノミヤケ=現在の福岡県北九州市小倉区貫)・我鹿屯倉(アカノミヤケ=現在の福岡県田川郡赤村?)
我鹿は阿柯(アカ)と読みます。

火国(ヒノクニ)の春日部屯倉(カスカベノミヤケ=肥後国託麻郡三宅郷?=現在の熊本県熊本市国府?)・播磨国(ハリマノクニ)の越部屯倉(コシベノミヤケ=播磨国揖保郡越部郷=現在の兵庫県揖保郡神宮町)・牛鹿屯倉(ウシカノミヤケ=未詳)・備後国(キビノミチノシリノクニ)の後城屯倉(シツキノミヤケ=備中国後月郡?)・多禰屯倉(タネノミヤケ=未詳)・来履屯倉(クツツノミヤケ=安芸国賀茂郡香津郷?)・葉稚屯倉(ハワカノミヤケ=未詳)・河音屯倉(カワトノミヤケ=未詳)・婀娜国(アナノクニ=備後の一部で現在の広島県深安郡・福山市)の胆殖屯倉(イニエノミヤケ=未詳)・胆年部屯倉(イトシベノミヤケ=未詳)・阿波国(アワノクニ)の春日部屯倉(カスカベノミヤケ)・紀国の経湍屯倉(フセノミヤケ=和歌山市布施屋?)
経湍は俯世(フセ)と読みます。

河辺屯倉(カワヘノミヤケ=和歌山市河辺?)・丹波国の蘇斯岐屯倉(ソシキノミヤケ=丹後酷丹波郡周枳?)
皆、音を取れ(音読しろ)

近江国の葦浦屯倉(アシウラノミヤケ=滋賀県草津市芦浦?)・尾張国の間敷屯倉(マシキノミヤケ=尾張国中島郡三宅郷=現在の愛知県中島郡平和町三宅)・入鹿屯倉(イルカノミヤケ=愛知県犬山市入鹿)・上毛野国の緑野屯倉(ミドノノミヤケ=上野国緑野郡=現在の群馬県多野郡西武と藤岡市)・駿河国の稚贄屯倉(ワカニエノミヤケ)。
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解説

後世の創作か?
大和朝廷の直轄領である「屯倉」自体はあったのだろうと思われますが、しかしこれが安閑天皇の時代に設置されたのかどうかは疑問、というのが定説です。

それでも、日本書紀のここに書いてあるのは前後との関係がなさすぎて創作にしては妙。創作ならばもっと辻褄を合わせるべきでしょう。

わたしとしては「安閑天皇(九)廬城部連枳莒喩の娘の幡媛の罪・物部尾輿も土地を献上」で見られるように、「罪のあがない」として加害者だけでなく被害者も、土地を献上する風習があって、それで屯倉はそもそも増える傾向だったのではないかと思います。

ということは、この安閑天皇のあたりで天皇の神格化があったんじゃないかと。これまで、神託を受けて、実行するという「神官」+「為政者」としての存在が、ここに来て存在そのものが「神に近い」というものになったのではないかと。
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原文

五月丙午朔甲寅、置筑紫穗波屯倉・鎌屯倉・豐國滕碕屯倉・桑原屯倉・肝等屯倉取音讀・大拔屯倉・我鹿屯倉我鹿、此云阿柯・火國春日部屯倉・播磨國越部屯倉・牛鹿屯倉・備後國後城屯倉・多禰屯倉・來履屯倉・葉稚屯倉・河音屯倉・婀娜國膽殖屯倉・膽年部屯倉・阿波國春日部屯倉・紀國經湍屯倉經湍、此云俯世・河邊屯倉・丹波國蘇斯岐屯倉皆取音・近江國葦浦屯倉・尾張國間敷屯倉・入鹿屯倉・上毛野國緑野屯倉・駿河國稚贄屯倉。
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