宣化天皇(一)出自と人となり

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宣化天皇(一)出自と人となり

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原文

武小廣国押盾天皇、男大迹天皇第二子也、勾大兄廣国押武金日天皇之同母弟也。二年十二月、勾大兄廣国押武金日天皇崩、無嗣。群臣奏上劒鏡於武小廣国押盾尊、使卽天皇之位焉。是天皇、爲人、器宇淸通、神襟朗邁、不以才地矜人爲王、君子所服。

現代語訳

武小広国押盾天皇(タケオヒロクニオシタテノスメラミコト=宣化天皇)は男大迹天皇(オオドノスメラミコト=継体天皇)の第二子です。勾大兄広国押武金日天皇(マガリノオオエノヒロクニオシタケカナヒノスメラミコト=安閑天皇)の同母弟です。安閑天皇即位2年の12月に勾大兄広国押武金日天皇(安閑天皇)は崩御して後継者がいませんでした。群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)は申し上げて、剣・鏡を武小広国押盾尊(タケオヒロクニオシタテノミコト)に献上して、天皇に即位しました。この天皇の人となりは、器量は清く透き通り、神襟(ミココロ=心)は朗らかで人よりも優れていました。自分の才地(カド=才能と地位)をもって他人に驕り高ぶったり、王のような態度は取りませんでした。君子として従うところです。
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解説

安閑天皇は2年・宣化天皇は4年
現代語を訳しているわたしとしては、前の安閑天皇の治世がたった2年にしてはかなり事件が多かったような気がします。「平和な世」だったと「安閑天皇(十一)勾舍人部・勾靫部の設置」にあるのですが、ちょっと疑わしい。
血統について
安閑天皇は継体天皇の子で、宣化天皇も継体天皇の子で、二人は兄と弟です。継体天皇自身が武烈天皇の死によって途絶えた天皇の血統を補うために越後から連れてこられた応神天皇の5代孫です。その子供である安閑天皇・宣化天皇は血が薄い。

それで継体天皇のもとに嫁いだ仁賢天皇の娘の手白香皇女を娶って生まれた「欽明天皇」が安閑天皇・宣化天皇の後に天皇になると比較的長い治世となるのを考えると、安閑天皇・宣化天皇の二人は「望まれない天皇」だとか「並立した朝廷」だったとか、何か疑いたくもなります。少なくとも、この二人の天皇は「天皇になるものとして生まれた」のではなく「父親が突然天皇になったから」天皇になったという経緯ですからね。

ただ、継体天皇が長生きしたので、この二人の天皇の即位が遅くなり、寿命が尽きただけかもしれません。その方が自然かも。
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