飢饉対策・那津之口に官家を

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宣化天皇(四)飢饉対策・那津之口に官家を

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現代語訳

(即位1年)夏5月1日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「食は天下の本です。黄金が万貫(ヨロズハカリ=貫は重さ)あっても、飢えを癒すことはできない。白玉(シラタマ=真珠)が千箱あっても、どうしてこれで冷(コイ=寒さに凍えること)を救えるだろうか。筑紫国は遠くから近くから詣でて来る所で、行き来の関戸となる所です。ここを通って海表(ワタノホカ=海外)の国は海水(シオ=潮)を見て来賓(マウ=訪ねてくること)して、天雲(アマクモ)を望み見て、貢物を献上する。胎中之帝(ホムダノスメラミコト応神天皇)から朕の身に至るまで、穀稼(モミイネ)を収蔵して、儲粮(モウケノカテ)を蓄積してきた。凶年(イイウエノトシ=飯飢えの年)に設置し、良客(タカラマラウト)を歓待する。国を安らかにする方法は、これより優れたものは無い。よって朕は阿蘇仍君(アソノキミ)を派遣して
阿蘇仍君の詳細は分かりません。

加えて、河内国の茨田郡の屯倉の殻(モミ)を運ばせよう。蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)は尾張連を派遣して、尾張国の屯倉の殻(モミ)を運ばせよう。物部大連麁鹿火(モノノベノオオムラジアラカイ)は新家連(ニイノミノムラジ)を派遣して新家屯倉(ニイノミノミヤケ)の殻(モミ)を運ばせよう。阿倍臣(アヘノオミ)は伊賀臣を派遣して、伊賀国の屯倉の殻を運ばせよう。官家(ミヤケ=天皇家の直轄地)を那津之口(ナノツノホトリ=博多大津の古い名前)に作り立てろ。また、筑紫(ツクシ)・肥(ヒノクニ)・豐(トヨノクニ)の三つの国の屯倉は散り散りになって、遠く隔絶したところにある。運輸するには遥かに隔たっている。もし必要となって用いようとするならば、すぐには備えるのは難しいだろう。諸々の郡に課して分けて移して、那津之口(ナノツノホトリ)に集めて立てて、非常時に備えて、長く民の命とするべきだ。早く郡県に下して、朕の心を知らしめよ」

秋7月。物部麁鹿火大連は亡くなりました。この年、太歲丙辰でした。
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解説

この文章は「天皇が飢饉対策をしたよ」という内容になっています。その中で屯倉の穀物を運ばせるように命令しています。つまり、飢饉対策で穀物を一箇所に集めるということでしょう。飢饉になったら大和から穀物を持っていくから大丈夫。ということです。ちなみに一箇所に集める場所…それは当然、大和になるはずです。

ところが九州の筑紫・肥・豐は大和から遠い。だから大和に穀物を集めていては飢饉のときに対応できない。そこで博多に集めることにしよう。ということです。

これはひっくり返すと、大和朝廷が税を集めていても、中央まで持ってきていなかったという意味になります。各国の屯倉とか氏族が税として米を集めても、中央には納めていなかった。それをこの時代に中央に集めるようになった。その大義名分が「飢饉対策」だった。
屯倉と官家
この二つには違いがあったのだと思われます。意味合いはどちらも「朝廷の直轄地」なのですが、官家の方がより、天皇家の直轄というニュアンスが強いのではないかと推測します。
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原文

夏五月辛丑朔、詔曰「食者天下之本也。黃金萬貫、不可療飢、白玉千箱、何能救冷。夫筑紫國者、遐邇之所朝屆、去來之所關門、是以、海表之國、候海水以來賓、望天雲而奉貢。自胎中之帝洎于朕身、收藏穀稼、蓄積儲粮、遙設凶年、厚饗良客。安國之方、更無過此。故、朕遣阿蘇仍君未詳也、加運河內國茨田郡屯倉之穀。蘇我大臣稻目宿禰、宜遣尾張連、運尾張國屯倉之穀。物部大連麁鹿火、宜遣新家連、運新家屯倉之穀。阿倍臣、宜遣伊賀臣、運伊賀國屯倉之穀。修造官家那津之口。又其筑紫肥豐三國屯倉、散在縣隔、運輸遙阻。儻如須要、難以備卒。亦宜課諸郡分移聚建那津之口、以備非常、永爲民命。早下郡縣、令知朕心。」秋七月、物部麁鹿火大連、薨。是年也、太歲丙辰。
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