欽明天皇(四)天皇即位のとき、年齢は若干

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欽明天皇(四)天皇即位のとき、年齢は若干

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現代語訳

(宣化天皇即位4年)冬12月5日。天国排開広庭皇子(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコ=欽明天皇)は天皇に即位しました。年齢は若干。皇后を尊び、皇太后としました。大伴金村大連(オオトモノカネムラオオムラジ)・物部尾輿大連(モノノベノオコシノオオムラジ)を大連とし、蘇我稲目宿禰大臣(ソガノイナメノスクネノオオオミ)を大臣としました。これらは以前の通りです。
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解説

若干?
欽明天皇が即位した年齢が若干という書き方をするのは変。この辺りには何か、政治上の都合があったのではないかと思います。

例えば、ですが、継体天皇は武烈天皇に子がいないことで急遽越後から連れてこられた人物です。それまでの天皇とは血のつながりが薄い。それでもまぁ、継体天皇はしょうがないことです。継体天皇がいなければ、後の天皇は居なくなりますからね。しかし、継体天皇が越後にいたときに出来た子である安閑天皇・宣化天皇はどうでしょうか? これは既存の大和朝廷の人たちから見ると疑問に思ってもしょうがない。いかに有力者たる大伴金村が連れてきたとしてもです。

そこで欽明天皇が即位する前に「山田皇女=春日山田皇女」に政事を任せようという欽明天皇の発言につながったのではないかと思いますし、欽明天皇が即位した年齢が「若干」となったのは、天皇となった時期が曖昧だったからではないかと思うのですね。周囲の人から見れば、皇女の血を引いた欽明天皇こそが「正統な天皇だ!」という意識があり、即位している安閑天皇・宣化天皇がいかに天皇然としても、納得していなかった。そういう曖昧な期間があった。その経緯が「若干」という表現になったんじゃないかと思います。推測ですよ。
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原文

冬十二月庚辰朔甲申、天國排開廣庭皇子卽天皇位、時年若干。尊皇后曰皇太后、大伴金村大連・物部尾輿大連爲大連、及蘇我稻目宿禰大臣爲大臣、並如故。
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