百済の合議と河内直たちを本国に帰すよう表を提出する

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欽明天皇(十九)百済の合議と河内直たちを本国に帰すよう表を提出する

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原文

十二月、百濟聖明王、復以前詔、普示群臣曰「天皇詔勅如是、當復何如。」上佐平沙宅己婁・中佐平木刕麻那・下佐平木尹貴・德率鼻利莫古・德率東城道天・德率木刕昧淳・德率国雖多・奈率燕比善那等、同議曰「臣等、禀性愚闇、都無智略。詔建任那、早須奉勅。今宜召任那執事・国々旱岐等、倶謀同計、抗表述志。又河內直・移那斯・麻都等猶住安羅、任那恐難建之。故亦幷表、乞移本處也。」聖明王曰「群臣所議、甚稱寡人之心。」

現代語訳

百済の聖明王は以前の詔(ミコトノリ)を全ての群臣(マヘツノキミタチ)に示し見せて言いました。
天皇の詔勅はこのようになっている。はたして如何にするべきだろうか」
上佐平沙宅己婁(ソクサヘイサタクコル)・中佐平木刕麻那(シソサヘイモクラマナ)・下佐平木尹貴(オトサヘイモクインクイ)・德率鼻利莫古(トクソチビリマクコ)・德率東城道天(トクソチトウジョウドウテン)・德率木刕昧淳(トクソチモクラマイジュン)・德率国雖多(トクソチコクスイタ)・奈率燕比善那(ナソチエンヒゼンナ)たちは合議して言いました。
「わたしめたちは、人となりが愚かで知識が無く明るくありません。知略もありません。任那を再建しろという詔がありました。速やかに勅を受けるべきです。今、任那の執事(ツカサ=役人)、国々の旱岐(カンキ=役職名)たちを招集し、ともに合議して、一緒に計画して、表(フミ)を申し上げて、志を述べましょう。また、河内直(カフチノアタイ)・移那斯(エナシ)・麻都(マト)などは尚、安羅に居て、任那はおそらくは再建が難しいでしょう。また、あわせて表を申し上げて、乞い願って、本のところへと移しましょう(河内直以下の人物を本国に帰すこと)。
聖明王は言いました。
「群臣の謀議したところ、多分に寡人(オノレ=自分を卑下した言い方)の心にかなったものだった」
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解説

欽明天皇(十八)津守連・下韓の郡令と城主にある「三佐平内頭(ミタリノサヘイナイヅ)」はこのページの「上佐平沙宅己婁(ソクサヘイサタクコル)・中佐平木刕麻那(シソサヘイモクラマナ)・下佐平木尹貴(オトサヘイモクインクイ)」のことではないかと思われます。

佐平というのは役職名のことでしょうね。
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