任那と日本府の執事が招集を断る

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欽明天皇(二十)任那と日本府の執事が招集を断る

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現代語訳

(即位4年11月)この月、施德高分(セトクコウブン)を派遣して、任那の執事(ツカサ=役人)と日本府の執事を招集しました。二人ともは答えて言いました。
「正月元旦を過ぎてから言って聞きましょう」

即位5年春1月百済国は使者を派遣してみ生の執事と日本府の執事を招集しました。二人ともは答えて言いました。
「神祭るときになった。祭りが終わってから行きます」

この月、百済はまた使者を派遣して任那の執事と日本府の執事を招集しました。日本府・任那はともに執事を派遣せず、位の低い卑しい人を派遣しました。これで百済はともに任那国を再建することを謀議できませんでした。
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解説

日本府は任那になったとする日本政府の出張所。任那は地域名。この両者の協力がないと新羅に壊された任那は再建できない。

といっても、任那は新羅に滅ぼされたはずなのに、任那の執事がどうとかというのは妙。おそらく、この時代の「国」というのは、今の「国」とは大分感覚が違うのでしょう。もっとゆるい。

だから新羅の侵略によって統制は失われ、国としては機能していなくても、個々の地域は自治体として機能していた。それを百済はもう一度まとめあげて「任那国」を再建しようとした。百済が任那再建を望んでいるのは、日本に命令されたから、ではなく、日本との交易を保つには、任那が「無政府状態」であるのは困るからでしょう。古代において貿易は儲かった。文化の違う地域が特産品をやりとりするだけで莫大な利益が生まれた。それを維持するには貿易路が「安全」であることが必須。だから任那の再建が必要だった。

それを新羅は邪魔した。
新羅が邪魔したのは結局「貿易で儲かっていなかったから」でしょう。貿易で利益があるのならば任那を無政府状態にするのは新羅にとっても損です。
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原文

是月、乃遣施德高分、召任那執事與日本府執事。倶答言「過正旦而往聽焉。」

五年春正月、百濟国遣使、召任那執事與日本府執事。倶答言「祭神時到、祭了而往。」是月、百濟復遣使、召任那執事與日本府執事。日本府・任那、倶不遣執事而遣微者。由是、百濟不得倶謀建任那国。
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