日本府と任那の釈明

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欽明天皇(二十四)日本府と任那の釈明

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原文

日本府答曰「任那執事不赴召者、是由吾不遣不得往之。吾遣奏天皇、還使宣曰『朕當以印奇臣語訛未詳遣於新羅、以津守連遺於百濟。汝、待聞勅際、莫自勞往新羅百濟也。』宣勅如是。會聞印奇臣使於新羅、乃追遣問天皇所宣、詔曰『日本臣與任那執事、應就新羅聽天皇勅。』而不宣就百濟聽命也。後、津守連遂來過此、謂之曰『今余被遣於百濟者、將出在下韓之百濟郡令・城主。』唯聞此說。不聞任那與日本府會於百濟聽天皇勅。故不往焉、非任那意。」於是、任那旱岐等曰「由使來召便欲往參、日本府卿不肯發遣、故不往焉。大王、爲建任那觸情曉示。覩茲忻喜、難可具申。」
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現代語訳

日本府は答えて言いました。
「任那の執事(ツカサ=役人)は招集しても来ないのは、わたしが派遣していないからで、来ることができないのです。わたしは天皇に申し上げるよう使者を派遣しまして、帰って来た使者が言ったのです。
『朕(ワレ=天皇の一人称)は印奇臣(イガノオミ)…
言葉が訛ってハッキリとは分かりません

を新羅に遣わし、津守連(ツモリノムラジ)を百済に派遣すべし。お前は勅(ミコトノリ)を受け賜る間、待っていろ。新羅・百済には行ってはならない』
宣勅(ミコトノリ)はこうなっていました。たまたま、印奇臣が新羅に使者を送ると聞いて、追いかけて天皇のおっしゃったことを問いました。その詔で言っていたのが…
『日本の臣下と任那の執事(ツカサ=役人)が新羅に行き、天皇の勅(ミコトノリ)を聴け』
というものだった。百済に行き、命令を聴けとはおっしゃっていなかった。後に津守連(ツモリノムラジ)はここに来て通り過ぎました。そのとき言いました。
『今、わたしは百済に派遣されたのは、下韓(アルシカラクニ)に居る、百済の郡令(コオリノツカサ)・城主(キノツカサ)を出すためである』
ただ、この説明だけを聞いた。任那と日本府が百済で集まって、天皇の勅(ミコトノリ)を聴けということは聞いていない。だから、行かないのは任那の意思ではない」
任那の旱岐(カンキ)たちは言いました。
「使者が来て、呼び寄せていたので、すぐに参上しようとしたのですが、日本府卿(ヤマトノミコトモチノカミ)は派遣を承知しませんでした。それで行かなかったのです。大王(キミ=ここでは百済の聖明王)は任那をさいけんするために、心の細かいヒダを明らかに示しました。これを見ても喜んでも、詳細に申し上げることは難しいのです」
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解説

招集に応じない理由
日本府としては『天皇が百済や新羅に行ってはいけない』と行っていたから、百済には行くわけにはいかなかった…と釈明をし、任那は日本府が『百済に行くな』というから行かなかったと釈明しました。

それどころか、日本府の話によれば、津守連は「わたしが百済に派遣されたのは、下韓から百済の郡令・城主を追い出すためだ」と発言した、というのです。これでは「天皇の威を借りて任那を再興しよう」としていた百済の聖明王のメンツ丸つぶれです。いや、それどころか天皇は百済をむしろ「任那を侵略する」と疑っていたということにすらなります(日本府の発言が事実ならば)。
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