各国の執事・臣が百済へ

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欽明天皇(三十)各国の執事・臣が百済へ

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原文

十一月、百濟遣使、召日本府臣・任那執事曰「遺朝天皇、奈率得文・許勢奈率奇麻・物部奈率奇非等、還自日本。今日本府臣及任那国執事、宜來聽勅、同議任那。」日本吉備臣・安羅下旱岐大不孫・久取柔利・加羅上首位古殿奚・卒麻君・斯二岐君・散半奚君兒・多羅二首位訖乾智・子他旱岐・久嵯旱岐、仍赴百濟。

現代語訳

(即位5年)11月。百済は使者を派遣し、日本府と任那の執事(ツカサ=役人)を招集して言いました。
天皇に使者を派遣して伺った奈率得文(ナソチトクモン)・許勢奈率奇麻(コセノナソチガマ)・物部奈率奇非(モノノベノナソチガヒ)たちが日本から帰って来た。今、日本府の臣と任那国の執事(ツカサ=役人)は、百済に来て、勅(ミコトノリ)を聴いて、一緒に任那について話し合え」
日本の吉備臣、安羅の下旱岐大不孫(アルシカンキダイフソン)・久取柔利(クスヌリ)・加羅の上首位古殿奚(オコシシュイコデンケイ)・卒麻君(ソチノマキシ)・斯二岐君(シニキノキシ)・散半奚君(サンハンゲノキシ)の子・多羅の二首位訖乾智(ニシュイコチゲンチ)・子他の旱岐(カンキ)・久嵯(コサ)の旱岐は百済に行きました。
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解説

ついに百済の説得で、日本府と安羅などの役人が百済に集まることに。
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