百済と日本の使者・呉の財

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欽明天皇(三十五)百済と日本の使者・呉の財

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原文

六年春三月、遣膳臣巴提便、使于百濟。夏五月、百濟遣奈率其㥄・奈率用奇多・施德次酒等、上表。秋九月、百濟遣中部護德菩提等、使于任那、贈吳財於日本府臣及諸旱岐、各有差。

現代語訳

即位6年春3月。膳臣巴提便(カシワデノオミハシ)を派遣して百済に使者として送りました。

夏5月。百済は奈率其㥄(ナソチゴレウ)・奈率用奇多(ナソチヨウガタ)・施德次酒(セトクシシュ)などを派遣して表(フミ)を献上しました。

秋9月。百済は中部護德菩提(チウホウコトクボダイ)たちを派遣して、任那に使者として送りました。呉(クレ=中国の江南地区)の財(タカラ)を日本府の臣と諸々の旱岐(カンキ=役職名)に送りました。それぞれに品がありました。
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解説

日本が百済に使者(膳臣巴提便)を送り、百済が日本に使者を派遣し、そして百済は任那の日本府の人たちに呉(中国の江南地区)の財宝を送ったわけです。
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