膳臣巴提便と虎

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欽明天皇(三十七)膳臣巴提便と虎

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現代語訳

(即位6年)冬11月。膳臣巴提便(カシワデノオミハスヒ)は百済から帰ってきて言いました。
「わたしめが使者として派遣されたときのことです。妻子も付き従って百済に去りました。百済の浜…
浜は海の浜です。

に到着して、日が暮れて停宿しました。すると小児(ワラハ)がたちまち居なくなり、どこに行ったか分からなくなりました。その夜にたくさんの雪が降りました。天が暁となって夜が明け始めてから、小児を探し求めると、虎が足跡が続いていました。わたしめはすぐに刀を腰に帯び、甲(ヨロイ)を着て、厳岫(イハホノクキ=岩窟)にたどり着きました。刀を抜いて言いました。
『慎み、糸綸(ミコトノリ=天子の言葉)を受けて、陸海で苦労して働き、風で櫛(カシラケズリ=髪を解く)して、アメで沐(ユスルアミ=体を洗う)して、草(カヤ)を枕にして、荊(シバ=イバラ)を班(シキイ=部屋の区切り)としているのは、その子を愛し、父の業(ワザ=仕事)を教えようとしているが為のことだ! 思うに、お前は霊威のある神だ。我が子を一口で食べてしまったな。今夜、我が子はいなくなった。足跡を追って、探し求め、ここに至った。命が滅びることも恐れず、報復しようと来た』
すでにその虎は前に進んで、口を開けて飲み込もうとしました。巴提便(ハスヒ)はたちまち左の手を伸ばして、その虎の舌をとらえて、右手で刺し殺して、皮を剥ぎ取って帰りました」
と言いました。
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解説

金光明最勝王経
4世紀に成立した「金光明経」を漢文に訳したものが金光明最勝王経。この金光明最勝王経に「捨身飼虎」というお話があって、それがこのページの物語に影響しているんじゃないかという指摘もありますが、いくらなんでも「主旨」がぜんぜん違う。
捨身飼虎
釈迦の前世での話。飢えた虎の親子がいて、その虎たちを救う為に釈迦がその身を差し出して食べさせるというお話。
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原文

冬十一月、膳臣巴提便、還自百濟言「臣被遣使、妻子相逐去。行至百濟濱濱、海濱也、日晩停宿。小兒忽亡、不知所之。其夜大雪、天曉始求、有虎連跡。臣乃帶刀擐甲、尋至巖岫、拔刀曰『敬受絲綸・劬勞陸海・櫛風沐雨・藉草班荊者、爲愛其子令紹父業也。惟汝威神、愛子一也。今夜兒亡、追蹤覓至、不畏亡命、欲報故來。』既而、其虎進前開口欲噬。巴提便、忽申左手執其虎舌、右手刺殺剥取皮還。」
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