川原民直宮と良駒

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欽明天皇(四十)川原民直宮と良駒

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現代語訳

(即位7年)秋7月。倭国(ヤマトノクニ)の今来郡(イマキノコオリ)は言いました。
「即位5年の春。川原民直宮(カワラノタミノアタイミヤ)…
宮(ミヤ)は名前です。

楼(タカヤ)に登って臨み見ました。すると良い駒(コマ=馬)を見つけました。
紀伊国の漁者(アマ)の贄(ニエ=神への捧げものの食料)を背負わせる草馬(メウマ=雌馬)です。

影を見て高く鳴いた(=良馬であるという慣用句)。軽く、母の背を超える。宮は行って馬を買い取りました。馬を飼って、何年か経ちました。壮年になると、鴻(オオトリ)のように高く昇り、龍のようにヒラヒラと飛び、仲間と違って、群から飛び出して行きました。乗ってみると、安らかであり、走り動くと、整っていました。大内丘(オオチノオカ=奈良県高市郡明日香村野口)の谷を超えて渡った。その距離18丈(=約54m)。川原民直宮は檜隈邑(ヒノクマノサト=奈良県高市郡明日香村周辺の広域)の人です。
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解説

大内丘
大内丘は天武天皇・持統天皇が葬られた場所。具体的には檜隈大内陵といいます。
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原文

秋七月、倭国今來郡言「於五年春、川原民直宮(宮名)登樓騁望、乃見良駒(紀伊国漁者負贄草馬之子也)、睨影高鳴、輕超母脊、就而買取。襲養兼年、及壯、鴻驚龍翥、別輩越群、服御隨心、馳驟合度、超渡大內丘之壑十八丈焉。」川原民直宮、檜隈邑人也。
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