茅渟の海の梵音・吉野寺の楠木の仏像

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欽明天皇(五十五)茅渟の海の梵音・吉野寺の楠木の仏像

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現代語訳

即位14年春1月12日。百済は上部德率科野次酒(シャウホウトクソチシナノシシュ)・杆率禮塞敦(カンソチライソクトン)たちを派遣して軍兵を乞い願いました。

13日に百済の使者の中部杆率木刕今敦(チウホウカンソチモクラコムトン)・河内部阿斯比多(カフチベノアシヒタ)たちが百済に帰国しました。

夏5月1日。河内国は言いました。
「泉郡(イズミノコオリ)の茅渟(チヌ)の海の中に梵音(ノリノオト=仏教の音楽)があります。音の響きは雷の声のようです。光って彩があり、照り輝いて日の色のようです」
天皇は心に不思議に思って、溝辺直(イケヘノアタイ)…
ここにはただ直(アタイ)とだけあって、名字が書いて無かったのは、おそらく伝え写しで誤って失ったのではないか?

を派遣して、海に入って探し求めさせました。
この時に、溝辺直は海に入って、結果、樟木(クスノキ)で出来た、海に浮かんで照り輝くものを見つけました。それを取り、天皇に献上しました。画工(アタクミ)に命じて仏像を二体作らせました。今の吉野寺(=現在の奈良県吉野郡大淀待ち比曽の世尊寺)に光を放つ楠木の像です。
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解説

仏像を捨てた天皇が、仏像を彫らせるという妙なお話。おそらくこういうことじゃないかと思います。仏像を捨てたのは事実。しかし、その後、仏教を取り入れることになりました。そうなると前の「仏像を捨てた」という話が、非常に不敬にあたるわけです。そこで、この話を入れることで中和しようとしたんじゃないかと。

面白いのは、元の「不敬な話」を「無かったこと」にするのではなく、「中和」しようとしているってことです。ここいらへんが日本人の「真実」に対する姿勢だろうと思います。
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原文

十四年春正月甲子朔乙亥、百濟遣上部德率科野次酒・杆率禮塞敦等、乞軍兵。戊寅、百濟使人中部杆率木刕今敦・河內部阿斯比多等、罷歸。

夏五月戊辰朔、河內國言「泉郡茅渟海中有梵音、震響若雷聲、光彩晃曜如日色。」天皇心異之、遣溝邊直此但曰直、不書名字、蓋是傳寫誤失矣入海求訪。是時、溝邊直入海、果見樟木浮海玲瓏、遂取而獻天皇。命畫工造佛像二軀、今吉野寺放光樟像也。
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