医博士・易博士・暦博士の交代

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欽明天皇(五十六)医博士・易博士・暦博士の交代

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原文

六月、遣內臣闕名使於百濟、仍賜良馬二匹・同船二隻・弓五十張・箭五十具。勅云「所請軍者、隨王所須。」別勅「醫博士・易博士・曆博士等、宜依番上下。今上件色人、正當相代年月、宜付還使相代。又卜書・曆本・種々藥物、可付送。」

現代語訳

(即位14年)6月。内臣(ウチノオミ)…
名が漏れていて無い。

を派遣して百済に使いを送りました。良馬2匹・同船(モロキフネ=諸木船=木材とつないで作った船)2隻・弓50張・箭(ヤ=矢)50具(=1具は矢50本)を与えました。勅(ミコトノリ)して言いました。
「請願した軍(イクサ=兵器)は王が用いるがままに」
別に勅して言いました。
「医博士(クスシノハカセ)・易博士(ヤクノハカセ)・暦博士(コヨミノハカセ)たちは番(ツガイ=交代のこと)で参上したり帰ったりしなさい。今の上の件の色(シナ=博士の種類のこと)の人は、今、まさに交代する年月にあたる。帰る使者に授けて、交代させるべきだ。また卜書(ウラノフミ)・暦本(コヨミノタメシ)・種々の薬物(クスリ)を使者に付けて送れ」
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解説

易博士と卜書
卜書と易博士は陰陽道の博士と思われます。
交代する意味
日本が上で百済が属国という立場ならば、博士を「交代制」にするのは妙です。ただし、それは儒教的な価値観で見た場合です。儒教では上下関係が厳しく、上の言うことは絶対服従で、下は聞かないといけません。そうすることが「社会の安定」を作ると考えていたからです。

しかし、日本は「和」の国で、儒教の影響は断定的。儒教的な歴史観で見ると妙ですが、日本の「和」で見ると、百済が「交代制で博士を送る」ことはなんら不思議なことではありません。

また日本が百済を「文化を輸入する入り口」として重要視していたことの証明でもあります。だからこそ日本書紀では百済の動向をことこまかく記述したのでしょう。
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