恵は聖明王の死を報告する

MENU
TOP>欽明天皇(日本書紀)>欽明天皇(六十八)恵は聖明王の死を報告する

欽明天皇(六十八)恵は聖明王の死を報告する

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

即位16年春2月。百済王子の余昌(ヨショウ)は王子の恵(ケイ)を派遣して申し上げました。
恵は威德王(イトクオウ=余昌のこと)の弟です。

「聖明王(セイメイオウ=余昌と恵の父)は賊(アタ=敵)に殺されました」
即位15年に新羅に殺されました。その死亡の報告を今したのです。

天皇はそれを聞いて、傷つき恨みました。すぐに使者を派遣して、津(ツ=難波の津?)に迎えて慰めて問わせました。許勢臣(コセノオミ)は王子の恵に問いて言いました。
「ここに留まるのか? それとも、本国に帰るのか?」
恵は答えていいました。
天皇の徳によって、願わくば孝王(チチノコキシ=聖明王のこと)の仇に報復したい。もし、憐れむ心から多くの兵革(ツワモノ=兵・兵器)を与えられるのならば、恥を雪ぎ、仇に報復するのが、わたしめの願いです。わたしめが、帰るか留まるかは、ただ天皇の命令に従うだけです」
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

聖明王もそうでしたが、その息子の「恵」も日本に頼りきりで、なにかあれば日本に兵を要請するばかりです。
スポンサードリンク

原文

十六年春二月、百濟王子餘昌、遣王子惠王子惠者、威德王之弟也奏曰「聖明王、爲賊見殺。」十五年、爲新羅所殺、故今奏之。天皇聞而傷恨、廼遣使者迎津慰問。於是、許勢臣問王子惠曰「爲當欲留此間、爲當欲向本鄕。」惠答曰「依憑天皇之德、冀報考王之讎。若垂哀憐多賜兵革、雪垢復讎臣之願也。臣之去留、敢不唯命是從。」
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集