蘇我臣の進言・建邦之神を祀ること

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欽明天皇(六十九)蘇我臣の進言・建邦之神を祀ること

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現代語訳

しばらくして蘇我臣(ソガノオミ)は問い訊ねて言いました。
「聖王(セイオウ=聖明王のこと)は天道地理(アメノミチツチノコトワリ)を理解し、その名は四表八方(ヨモヤモ)に知られています。思うに、長く国を安寧に保ち、海西(ワタノニシ=朝鮮半島)の領地を統治して、千年万歳(チトセヨロズトセ)、天皇に仕えようと思っていた。そう思っていたのに、突然に眇然(ハルカ=取るに足らない)ことで、昇遐(ワカレテ=王や貴人が死ぬこと)しまい、水と共に永遠の死へと流されて帰ることなく、玄室(クラキヤ=墓の中の棺室)で安らかに眠ることになろうとは。どれほどの痛みの酷さか! どれほどの悲しみの痛切であることか! すべての心があるものは誰もが傷つき、死を悼むだろう! なんの咎(トガ=罪)があって、このような禍(ワザワイ)となったのか? また、なんの術(ミチ)を用いて国家を鎮めるのか」
恵(ケイ=聖明王の子)は答えました。
「わたしめは、人間性は愚かで素晴らしい計画を知りません。いかがしたものでしょうか。禍福(ワザワイサイワイ)よる国家の存亡については」
蘇我卿は言いました。
「昔のことです。天皇が大泊瀬(オオハツセ=雄略天皇のこと)の世のときに、あなたの国が高麗に攻められて、重なった卵のように非常に危険な状態になりました。天皇は神祇伯(カムツカサノカミ=神を祀る神官の役職)に命令して、神を敬って策を神祇から受けました。祝者(ハフリ=下級の神職)はすぐに神の言葉を宣託して報告しました。
『建邦之神(=邦(クニ)を建てた神)に、屈して(膝をついて)請い祈って、行って、亡ぼうとする主(ニリム)を救えば、必ず国家は静まって、人物(オオミタカラ=国民)は安らかになるだろう』
それで神に請い祈って、行って救いました。それで社稷(クニ)は安寧となりました。元々をたずねて見れば、それは、邦(クニ)を建てた神とは天地が割れて別れた時代に、草木が言語を発していた時代に、天から降って来て、国家を造って建てた神だ。この頃聞いています。あなたの国(=百済のこと)では、この神を捨てて祀っていないと。今、これまでの過失を改めて、悔い、神の宮を修理して、神の霊を祭り奉れば、国は栄えるでしょう。あなたは、これを忘れてはいけません」
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解説

建国・創世の神話
朝鮮の歴史書の三国史記を読むと、高句麗・百済・新羅の「建国神話」はあるのですが、「創世」の神話が無い。世界がどう生まれたのか?ということが描かれてい無いんですね。ちなみに三国史記は12世紀の書物で、日本書紀は8世紀の書物です。ということは、蘇我臣が「創世の神を祀りなさいよ」と進言したのですが、百済の恵は「あ、そーですか」と真面目に取り合わなかったのでしょうね。

日本では天地が分かれ、そこから創世の神が生まれるという「創世の神話」があります。その原型というものはこの時代にすでにあったということです。いや、少なくとも、この時点で「創世」の感覚があり、それが朝鮮半島には無かったということです。文章を読む限りは、「かつて百済では創世の神を祀っていたが、その神を捨てて、今は祀っていない」わけですから、昔は創世の神がいたということになります。

ところで儒教には神がいません。ハッキリと「神を否定」しています。これが儒教の凄いところです。百済が神を捨てたというのは「昔からの信仰を捨てて、儒教を取った」という意味ではないかと思うのですね。
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原文

俄而蘇我臣問訊曰「聖王、妙達天道地理、名流四表八方。意謂、永保安寧、統領海西蕃国、千年萬歲、奉事天皇。豈圖、一旦眇然昇遐、與水無歸、卽安玄室。何痛之酷、何悲之哀。凡在含情、誰不傷悼。當復何咎致茲禍也、今復何術用鎭国家。」惠報答之曰「臣、禀性愚蒙、不知大計、何況、禍福所倚・国家存亡者乎。」蘇我卿曰「昔在天皇大泊瀬之世、汝国、爲高麗所逼、危甚累卵。於是、天皇命神祇伯、敬受策於神祇。祝者廼託神語報曰『屈請建邦之神・往救將亡之主、必當国家謐靖・人物乂安。』由是、請神往救、所以社稷安寧。原夫建邦神者、天地割判之代・草木言語之時・自天降來造立国家之神也。頃聞、汝国輟而不祀。方今、悛悔前過・脩理神宮・奉祭神靈、国可昌盛。汝當莫忘。」
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