白猪屯倉の設置

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欽明天皇(七十)白猪屯倉の設置

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原文

秋七月己卯朔壬午、遣蘇我大臣稻目宿禰・穗積磐弓臣等、使于吉備五郡、置白猪屯倉。

現代語訳

(即位16年)秋7月4日。蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)・穗積磐弓臣(ホヅミノイワユミノオミ)たちを派遣して吉備の五つの郡(コオリ)に白猪屯倉(シライノミヤケ)を設置しました。

解説

吉備のすごさ
吉備は雄略天皇の時代に、朝鮮半島に左遷させられたり、反逆の疑いをかけられたりして、徐々に弱っていって地域です。それは吉備がそれだけ強い地域だったということでもあります。遡ると四道将軍の一人の吉備津彦(キビツヒコ桃太郎の元ネタとも)も居ますから、強国としての歴史は古いです。

また吉備はこの後で、備前・備中・備後・美作と4つの地域に分割されます。それだけ強い地域ということです。

吉備の5つの郡に屯倉を…と軽く言いますが、吉備は広く、また有力な地域ですから、短い文章ですがかなり深い意味があるはずです。

もう一つ、白猪屯倉の「白猪」は続日本記に「白猪臣」が「大庭臣」に改姓したという記事があり、美作国には大庭郡(現在の岡山県真庭郡)という土地があることから、この白猪屯倉は実在し、またその後も存続しているわけで、なかなか意義のある記事だと思われます。
白い猪
白いというのは「神聖」という性質があり、猪は山の獣であり、神の使いでもあり、やはり神聖なものです。白い猪ってのはとても神聖です。この名前をつけるということは、農業関係なんじゃないかと。
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