余昌は出家を望む・臣下と百姓の反対

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欽明天皇(七十一)余昌は出家を望む・臣下と百姓の反対

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現代語訳

(即位16年)8月。百済の余昌(ヨショウ)は諸々の臣下たちに語って言いました。
「少子(ヤツカレ=自分を卑下した言い方)、今、願わくば、孝王(チチノコキシ=聖明王のこと)の奉仕するために、出家して修道(オコナイ)をしようと思う」
諸々の臣下たちと百姓(タミドモ)は答えて言いました。
「今、君王(キミ)が出家して修道することができると思うのは、しばらく教(ミコトノリ)を受け賜っていないからではないか。あぁ!それは以前に配慮を無視して、後に大きな憂いがあったのは誰の過ちだというのですか。
参考
欽明天皇(六十五)余昌を諌める耆老・聖明王の慰問
欽明天皇(六十六)佐知村の飼馬奴苦都と聖明王の斬首と埋葬
上の二つのページで余昌は老人の進言を無視して新羅征伐を行い、その結果、父の聖明王が死んでしまった。大きな憂いと過ちはこのことを指している。

百済国は高麗・新羅が戦争をして滅亡させようとしています。始めに国が開かれてから、この年に至るまで、この国の政治・宗教をどこかの国に預けたことがありましょうか。あるべき道理を明らかにして教(ミコトノリ)してください。もし、耆老(オキナ=老人)の言葉を用いていれば、どうしてこんなことになっていましょうか! おねがいですから、以前の過失を改めて、出俗(イエデ)することはしないでください。もし、願いを果たそうと思っているならば、国民に度(イエデ=道を示す=命令すること)してください」
余昌は答えて言いました。
「諾(ウベ=わかった)」
すぐに臣下たちと話し合いました。臣下は話し合って、100人に度(イエデ=命令する)して多くの幡蓋(ハタキヌガサ=幢幡と天蓋=仏教の儀式の具)を作り、たくさんの功徳をしたといいます。云々。
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解説

出家と修道
出家や修道というのは仏教の言葉です。仏教では輪廻の円環を超えた人のことを「仏陀」とか「仏」といいます。この仏陀になることを「解脱」と言います。解脱するには執着心を捨てなくちゃいけません。そこで金も地位も捨てて、家を出て修行しないといけません。だから出家するって言い出したんですね。

余昌は「僕! 出家する! なにもかも捨てる!」
と駄々をこねた。
それを臣下がいさめたのですね。
「全部、てめぇのせいだろ!
出家とか言ってないで反省して、頑張らんかい!
このままじゃ高麗と新羅に攻め滅ぼされるぞ!!」
と。
幡蓋とは
ネットで調べると「幢幡と天蓋」って書いてあるんですよね。でも、別のものかもしれません。ただ、これが仏教の用具だとしたら、百済はかなり「仏教国」になっていたということになります。
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原文

八月、百濟餘昌、謂諸臣等曰「少子今願、奉爲考王、出家修道。」諸臣・百姓報言「今君王、欲得出家修道者、且奉教也。嗟夫前慮不定・後有大患、誰之過歟。夫百濟国者、高麗・新羅之所爭欲滅、自始開国迄于是歲、今此国宗將授何国。要須道理分明應教、縱使能用耆老之言、豈至於此。請悛前過、無勞出俗。如欲果願、須度国民。」餘昌對曰「諾。」卽就、圖於臣下。臣下遂用相議、爲度百人、多造幡蓋、種種攻德、云々。
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