恵に阿倍臣・佐伯連・播磨直・筑紫火君の護衛

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欽明天皇(七十二)恵に阿倍臣・佐伯連・播磨直・筑紫火君の護衛

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現代語訳

即位17年春1月。百済の王子の恵(ケイ)は帰りたいと請願しました。それで兵仗(ツワモノ=兵器)・良馬(ヨキウマ)をたくさん与えました。また賞禄を与えられていました。周囲の人々は恵を尊び、褒めていました。阿倍臣(アヘノオミ)・佐伯連(サエキノムラジ)・播磨直(ハリマノアタイ)を派遣して、筑紫国の舟師(フナイクサ)を率いて、恵を守り送って百済国に到着しました。それとは別に筑紫火君(ツクシノヒノキミ)を派遣して
百済本記によると、筑紫君の子で火中君(ヒノナカノキミ)の弟とあります。

勇士1000人を率いて、護衛して弥弖(ミテ=慶尚南道南海島の弥助里?)に送らせました。
弥弖は津(ツ=港)の名前です。

それが因縁となって津の道の要害(ヌミ)の土地を守らせました。
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解説

聖明王はその息子の余昌の判断ミスで死にました。その死んだことを日本に報告に来たのは、聖明王の子で余昌の弟の「恵(ケイ)」でした。恵は、日本での評判が良く、周囲の人に尊ばれ、褒められていましたから、日本は丁重に護衛をつけて百済国まで送りました。そういうことです。
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原文

十七年春正月、百濟王子惠、請罷。仍賜兵仗良馬甚多、亦頻賞祿、衆所欽歎。於是、遣阿倍臣・佐伯連・播磨直、率筑紫國舟師、衞送達國。別遣筑紫火君百濟本記云「筑紫君兒、火中君弟。」率勇士一千衞送彌弖(彌弖、津名)。因令守津路要害之地焉。
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