紀男麻呂宿禰の令

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欽明天皇(八十一)紀男麻呂宿禰の令

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現代語訳

(即位23年)この月(7月)に大将軍(オオイクサノキミ)の紀男麻呂宿禰(キノオマロノスクネ)を派遣して、兵を率いて哆唎(タリ=全羅南道の栄山江東岸?)を出発しました。副将は河辺臣瓊缶(カワヘノオミニヘ)は居曾山(コソムレ=地名だが未詳・全羅北道南原の東北の居斯勿県?)を出発しました。新羅が任那を攻めた状況・事情を問おうとしました。それで任那に到着して、薦集部首登弭(コモツメベノオビトトミ)を百済に派遣して、軍の計画と約束しました。登弭(トミ)は妻の家に泊まりました。印書(シルシノフミ=封印した機密文書)と弓箭(ユミヤ=弓と矢筒)を道に落としました。新羅は詳細に軍の計画を知りました。新羅はすぐに大勢の兵を起こしたので、敗亡が続きました。降り帰化し従おうと乞いました。紀男麻呂宿禰(キノオマロノスクネ)は勝利して師団を旋回して、百済の営(イオリ=陣営)に入りました。軍の中で令(ノリゴト)して言いました。
「勝っても、敗れたことを忘れず、安全となっても必ず危険を配慮するのは、古くからの良い教えだ。今、居る場所の境界には豺狼(アタ=山犬と狼で、敵のことを蔑んだ言い方)が交戦している。そういう教えを軽く見て忘れて、変難(ノチノワザワイ)を思わないべきだろうか。いうまでもなく、平安な世でも刀剣を身から離さない。どうして君子の武備(タケキソナエ=武力の準備)は止めるべきだろうか。深く慎み戒め、この令を務め、尊ぶべきだ」
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解説

紀男麻呂宿禰は名前からいうと「日本人」なのですが、軍隊を出発させたのは百済であり、日本ではありません。任那はすでに滅び、日本から新羅へと通じる道は無い。だから軍隊は百済から発しないといけません。

この新羅との戦いは新羅vs百済です。

それで新羅に状況を問おうとするのですが、その作戦の密書を無くして、情報は筒抜け、新羅は兵を起こして迎え討ってきました。戦いに負けるのですが、どうにか紀男麻呂宿禰は勝って百済に帰ってきます。

それで、君子は絶えず危機に準備していないといけないよね、と「令(ノリゴト)」を残すところまでです。

任那が滅んだことで百済は日本の救援を得ることが出来なくなりました。この紀男麻呂宿禰の「令」が意味するところは、前もって戦争の準備をしていないと、後々えらいことになりますよ、という「転ばぬ先の杖」的な教訓だと捉えれば簡単なんですが、それだけでもない、と思います。

日本はこの時代に「穢れ」を嫌うあまりに「戦争」を忌避していたんじゃないかと思うのです。それで兵士・兵器を忌み嫌った。それで百済の救援を渋った。いや、兵士が不足していたんでしょう。そういう事情から紀男麻呂宿禰の教訓があったのではないかと。

そういう「穢れ」を忌避しているんじゃなくて、穢れという概念のない「仏教」を取り入れないといけない。仏教があれば、戦争ができる。兵士と兵器を揃え、守ることができる。そうすれば百済は滅亡しないで済んだのに。そういう意味があったんじゃないかと思っています。
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原文

是月、遣大將軍紀男麻呂宿禰、將兵出哆唎、副將河邊臣瓊缶、出居曾山。而欲問新羅攻任那之狀。遂到任那、以薦集部首登弭、遣於百濟、約束軍計。登弭、仍宿妻家、落印書・弓箭於路。新羅、具知軍計、卒起大兵、尋屬敗亡、乞降歸附。紀男麻呂宿禰、取勝、旋師入百濟營、令軍中曰「夫勝不忘敗・安必慮危、古之善教也。今處疆畔・豺狼交接、而可輕忽不思變難哉。況復平安之世、刀劒不離於身。蓋君子之武備、不可以已。宜深警戒、務崇斯令。」
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