畝原・奈羅・山村の高麗人の先祖

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欽明天皇(八十七)畝原・奈羅・山村の高麗人の先祖

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原文

廿六年夏五月、高麗人頭霧唎耶陛等、投化於筑紫。置山背国、今畝原・奈羅・山村高麗人之先祖也。廿八年、郡国大水飢、或人相食。轉傍郡穀、以相救。

現代語訳

即位26年夏5月。高麗人の頭霧唎耶陛(ズムリヤヘ)たちが筑紫に入って帰化して、山背国(ヤマシロノクニ)に置かれました。今の畝原(ウネハラ)・奈羅(ナラ)・山村(ヤマムラ)の高麗人の先祖です。

即位28年。郡国(クニグニ)は大水(オオミズ=洪水)になって飢えました。また人食いもありました。そばの郡の穀(タナツモノ=穀物)を運びあって救援しました。
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解説

高麗人が筑紫だから九州にやってきて、帰化したというのですね。これは高麗→朝鮮南部→九州にしっかりとした交易ルートがあったからでしょう。現在の北朝鮮とはぜんぜん違うわ。

その高麗人が山背国へと置かれたのだから、九州→瀬戸内の交易ルートもしっかりとしていたわけでしょうね。瀬戸内ルートは分かりきったことですけど。
大水、飢え、人食い
この文書は中国の歴史書の漢書の元帝紀の初元元年9月にほぼ同じ記事があります。人によっては史実ではないと考えるかもしれません。しかしこれは、この時代に実際に日本であった洪水と飢餓を「漢書」の文章を借りて表現したものと考えたほうが自然。なぜなら、わざわざ虚偽で「悪い記事」を書くわけないから。
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