築土神社

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築土神社

漢字・読みツクドジンジャ
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概要

住所〒102-0073 東京都千代田区九段北1-14-21
祭神天津彦火邇々杵尊(アマツヒコホノニニギミコト
相殿平将門 菅原道真
創建940年(天慶3年)
飯田橋駅・神保町駅から徒歩6分から10分。ビルの隙間に立っているので見つけづらいけど、ちゃんと標識というか案内板もあるので、迷うことは無いです。

物語・由来

平安時代に関東で平将門が立ち上がります。歴史上では「反逆者」ですが、関東では「民衆のために立ち上がった英雄」だったのでしょう。将門は「東の天皇」と名乗り、中央政府(朝廷)に反旗を翻し、戦いました。結局、すぐに藤原秀郷に平将門が討たれ、京都に将門の首は晒されたのですが、その首を首桶に入れて関東に持ち帰って、祀ったのが築土神社の始まり(940年)。
江戸時代には江戸の守護神に
江戸時代になると江戸幕府は、古代においての中央政府・・・つまり朝廷に逆らった平将門を特別視するようになりました。江戸幕府ってのは、あくまで天皇から征夷大将軍として任命されたもので、「幕府」という言葉も「政府」という意味ではなく、将軍が戦地で開く「戦の陣」という意味です。

だから江戸幕府は、中央政府である天皇と朝廷のことを苦々しく思っていたわけです。目の上のたんこぶ。邪魔なこと、この上無い。実際には江戸幕府が実験を握っているのに、なぜか朝廷が形式上でも上に位置している。

そういう「なにくそ!」という思いが、平将門の首を祀った築土神社の特別視につながることになります。ちなみに神田明神は平将門の体を祀った神社です。
平将門が相殿?
江戸時代では平将門が特別視されたのですが、明治になると、天皇が名実ともに権力を持ちました。すると天皇に楯突いた将門を神として信仰している築土神社はマズい。そこで将門ではなく、天照大御神アマテラスオオミカミ)の孫のニニギを掲げることになりました(明治7年)。

ちなみに全く同じ経緯で神田明神も将門を降格しています。

神社や関連する土地

世継稲荷神社(築土神社の境内にある)
神田明神
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