任那のことは怠ることがないように

MENU
TOP>敏達天皇(日本書紀)>敏達天皇(九)任那のことは怠ることがないように

敏達天皇(九)任那のことは怠ることがないように

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

(即位4年)2月1日。馬子宿禰大臣(ウマコノスクネノオオオミ)は京師(ミヤコ)へと帰りました。屯倉(ミヤケ=白猪屯倉のこと)のことを復命(結果を報告すること)しました。

乙丑(キノトノシノヒ…2月1日が壬辰ならば、2月に乙丑はありえない。記述ミスか?)に百済は使者を派遣して調(ミツキ=税)を献上しました。いつもの年よりも多くありました。天皇新羅が未だに任那を再建していないので、皇子と大臣に詔(ミコトノリ)していいました。
「任那のことは怠ることがないように」

夏4月6日。吉士金子(キシカネ)を使者として新羅に派遣しました。吉士木蓮子(キシノイタビ)を任那に使者として送りました。吉士訳語彦(キシオサヒコ)を百済に使者として送りました。

6月。新羅は使者を派遣して調(ミツキ)を献上しました。いつものよりも多かった。あわせて多々羅(タタラ)・須奈羅(スナラ)・和陀(ワダ)・発鬼(ホチキ)の四つの村の調(ミツキ)を献上しました。

この年、卜者(ウラベ)に命じて、海部王(アマノオオキミ)の家と土地と、糸井王(イトイノオオキミ)の家と土地を占わせました。占うと良かった。それで宮を訳語田(オサタ)に作りました。これを幸玉宮(サキタマノミヤ)といいます。

冬11月に皇后の広姫が亡くなりました。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

任那を取り戻すこと、それは先代で父の欽明天皇の遺言でもあります。
スポンサードリンク

原文

二月壬辰朔、馬子宿禰大臣還于京師、復命屯倉之事。乙丑、百濟遣使進調、多益恆歲。天皇、以新羅未建任那、詔皇子與大臣曰、莫懶懈於任那之事。

夏四月乙酉朔庚寅、遣吉士金子使於新羅、吉士木蓮子使於任那、吉士譯語彥使於百濟。

六月、新羅遣使進調、多益常例、幷進多々羅・須奈羅・和陀・發鬼四邑之調。是歲、命卜者占海部王家地與絲井王家地、卜便襲吉、遂營宮於譯語田、是謂幸玉宮。

冬十一月、皇后廣姬薨。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集